上図は「世界文化遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」の標識を示す。
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そのなかで「小辺路」(こへち)は 高野山から熊野本宮大社までの
約67キロの山道で、最高峰は伯母子岳(おばこだけ1344m)である。
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歩いた記録は以下に示す(※各記録をクリックすると直接そのページへいけます)
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1.高野山から水が峰往復 Part1 高野山から水が峰へ
高野山から水が峰往復 Part2 水が峰からの帰路と高野七口女人道
いずれも2013年11月22日
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2.水が峰から大股往復 2013年11月30日
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3.大股から伯母子岳(1344m)往復 2013年12月23日
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4.十津川村杉清から伯母子峠 2014年1月12日
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7.十津川温泉から果無(はてなし)峠へ 2014年1月29日
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8.果無峠から熊野本宮大社へ 2014年1月29日
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1.高野山から水が峰
2013年11月22日
1. PART1 高野山を出発して大滝経由新家集落
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出発とゴールは「金剛峰寺前駐車場」で、ピンクラインが往路で
歩いたコース。復路はそのコースを往復し、真別処分岐から
「高野七口女人道」を下山し、中の橋から奥の院の中を通り
駐車場へ帰着した。
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※「高野七口女人道」
高野山への参道は 七つの道があり、それぞれの高野山入り口に
女人堂が建てられていた。明治の初めまで 女性は山内に入ることが
許されず(高野山を開いた空海の御母堂も例外にあらず)、女性たちは
出家した身内の様子を見に、また空海の御廟を拝む為 それらの
七つの女人堂を結ぶ山道を歩いて、祈りを奉げたと言う。
その道が「高野七口女人道」であり、今も残っている。しかし女人堂は
一つしか残っていない。
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「金剛三昧院」を目標に小辺路の入り口を探す。
この看板は薬屋さんの壁に大きくかかっていてすぐ分かった。
ここを入っていく。
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金剛三昧院の大きな石柱前を右分岐する。
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良く見ると、右角に小さな道標がある。
ここが実質上のスタート地点だ。
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しばらく行くと古い標識もあった。
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最終民家を過ぎて、しばらくは林道を進む。
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やがて見覚えのある「轆轤峠(ろくろとうげ)」に出る。
※昔の女性は山内に入ることが許されず、ここで妖怪轆轤首のように
首を長く伸ばして、身内の姿を遠く見える山内に探したと言う。
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道標の脇に、ついでに熊モンのお知らせが張ってあった。
あわてて「熊避けベル」を取り出して付ける。
さすが世界遺産の道、英語でもお知らせしてある。
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しばらくは林道を進む。所々の紅葉がきれいだ。
しかしほとんどの森は伐採されて杉檜の害木を植えてある。
空海様もびっくりして、嘆いてらっしゃるに違いない。
さすが 和歌山県。世界遺産の町石道をゴルフ場の中を通す
ぐらいだから、世界文化遺産の霊場の森を丸裸にすることなど
朝飯まえだ。
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やがて「真別処分岐」に来た。小辺路はまっすぐだが、
女人道は左分岐だ。帰りはここを下山する予定だ。
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眺めの良い林道をどんどん進む。
周りの山はほとんど植林帯だが、所々に申し訳程度に
元来の木が残してある。
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薄峠到着。標高は1000m近い。小辺路はここを左分岐だが
直進は時々見えていた関電の無線施設がある。
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急坂をどんどん下る。見えている車の轍は、山仕事の御夫婦の軽トラ
だった。お話したが、とても感じのよい方たちだった。
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気が付けば、林道はいつの間にか山道になっていた。
道路勾配は依然として 凄く急だ。帰路が思いやられる。
どんどん高度を下げていく。一気に数百メートル下るようだ。
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石仏が設置されている。案内標識が無いが、ここが「丁石ポイント」かも。
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やがて山道は植林帯に下りてきた。
高野山名物 高野槙(こうやまき)の植林帯だ。
高野山では 道端でこの槙の枝を普通に売っていて、墓参りの人が
これを買い求めて 墓にお供えする。
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歩いて行くと高野槙の間に紅葉が見える。
高度はどんどん下がり続ける。下から川の水音が聞こえ始めた。
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道は再び林道になり、どんどん高度を下げていく。
やがて川に出た。
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川沿いの紅葉がきれいだ。
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鉄製の立派な橋だ。御殿川(おどがわ)と書いてある。
この御殿橋を渡ると 再び急坂を登り返す。
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急坂を登っていくと、少し広い道に出た。
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新しい標識があり、「小辺路」はこの道路を右分岐して登り続ける。
この合流ポイントが「大滝」らしい。
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少し歩くと集落に出た。「新家集落」だ。
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集落を歩いて行くと、鹿が罠にかかっていた。
こんな民家の中にまで出てくるのは、よほど鹿の数が多いのだろう。
鹿が増えすぎると、たちまち山が枯れる。大台ケ原や日本の山のあちこち
で実証済みだ。山村の人は皆 増えすぎた鹿や猪の被害に泣いている。
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この集落内に 新しくて立派な公共トイレがあった。
なんと温水シャワートイレが付いている。
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通りかかったおじさんが「休憩所で一休みしてはどうですか」
と言われたので、村の広場に出来た 休憩スペースで一休みする。
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休憩スペースには 「世界文化遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」の
説明がしてあった。
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part2へ続く
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1. Part2 「新家から竜神スカイラインへ、そして帰路の高野女人道」
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休憩の後、集落を後にして再び歩き出す。
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しばらくは山道を進む。
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この路で 鉄人に出会う。
山道を歩いていると、向こうから大きなリュックを背負った人がやってきた。
しばらく立ち話をしているとこの人が大変な人だと言うことが分かった。
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この人は奈良県吉野町を出発して、世界遺産大峰奥駈道184キロを
歩き通したのだ。通常7泊8日と言われる 標高1500mから2000mの
尾根道コースを たった3泊4日で歩き、しかもそのまま「熊野本宮大社」で
ユーターンして 今度は世界遺産熊野参詣道小辺路を歩き もうすぐ高野山
にゴールするのだ。通常3泊4日と言われる小辺路を2日半で歩き通した
のだからこれも凄い。
当初計画では、高野山から 更に世界遺産の「高野山町石道(ちょういしみち)」を歩いて
高野山麓の慈尊院まで降りてから、電車に乗る計画だとか。
高野山町石道は 空海のご母堂の眠る高野山麓の九度山町慈尊院から
空海の眠る高野山奥の院までの参詣道で、180町約20kmの山道だ。
「もう食料を使い果たしたので、山歩きを続けるか考えています。」
と笑顔でおっしゃっていた。
スタート時点では 背中の荷物の総重量は子35キロを超えていたと言う。
まさに鉄人だ。こんな凄い人に出会ったのは初めてなので 写真を
撮らせていただいた。
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鉄人と別れてしばらく歩くと 「竜神スカイライン」に出た。
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竜神スカイラインにも小辺路の標識が立ててある。
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しばらくは竜神スカイラインを歩く。
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スカイラインはヘアピンカーブを繰り返しながら、どんどん高度を下げていく
ようだ。それに大型観光バス、ダンプカー、トラック、乗用車、大型バイク
などが びゅんびゅん走り抜けていく。
全く面白くないので ここらで引き返すことにした。
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新家集落まで戻ってきた。これが最終の民家だ。
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新家休憩所で 10人くらいのグループにすれ違う。大半が女性で
先頭のおじさんが 法螺貝を吹きながら歩いていった。
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左端の建物が公共トイレだ。右の民家のオバちゃんが洗面所のタオルの
取替えをしていた。しばらく山家の生活のお話を伺う。
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御殿川橋へ向かって急坂を再びどんどん下りていく。
民家が潰れていた。往路では気が付かなかった。
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御殿川橋に戻ってきた。これを渡ると再び急坂が待っている。
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高野槙植林帯の集落跡を登っていく。数軒の民家跡がある。
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薄峠への急坂の登り返しだ。
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薄峠(すすきとうげ)から林道を歩き 真別処に着いた。
ここで右分岐して 「高野七口女人道」へ入る。
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女人道をどんどん降りる。標識が整備されているので迷うことは無い。
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円通寺に出た。このお地蔵さんも見覚えがある。
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昔の女性たちが 歩きながらお祈りしたという お堂もある。
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東口女人堂跡に出た。かって七つあった女人堂は 今は一つだけ
残っているに過ぎない。
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せっかく世界文化遺産に指定されたのだから、和歌山県も
女人堂の復元をしたらいいのに、世界遺産の参詣道(町石道)をゴルフ場の
中を通すような 知識教養レベルの高い和歌山県は そんな気はさらさら
無いらしい。
昔の女性はここから山内へは入れなかったと言う。
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女人道は「中の橋」に出た。逆からだと全く分かりづらい入り口だ。
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中の橋には全国から来た沢山の巡礼者たちが 奥の院へ、また弘法大師の
御廟へと向い、沢山のお土産を買い求めて 故郷へ帰る。
沢山のみやげ物屋が並んでいる。
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私は熊避けのベルを外して 奥の院から出発地点へ向かう。
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奥の院から一の橋へ向かう。
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奥の院の中に 古い「町石」がある。
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世界遺産の参詣道「高野町石道」は一町(109m)ごとに町石が
立っている。この石は卒塔婆を模したものという。
空海の御母堂の眠る慈尊から壇上伽藍までの180丁でお終いだが
いつの頃からか、壇上伽藍から奥の院大師御廟までに 町石が
何箇所か増えたと言う。
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金剛峰寺前駐車場に無事帰着。
8時30分に出発して 15時30分帰着。
30分のお昼ご飯休憩を入れて7時間の山歩きだった。
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実際に歩いた記録 金剛峰寺から薄峠
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薄峠から竜神スカイラインまで
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歩いた距離と高度の記録。
薄峠から御殿川橋の急坂は凄かった。
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2.水が峰から大股へ
2013年11月30日
この日は 水が峰から大股を往復した。
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高野龍神スカイライン(国道371号線)の「水が峰入り口」付近の道路わきに
車3台分の駐車スペースがあったので そこに止めて出発した。
※地図は世界遺産熊野参詣道ルートマップ 山と渓谷社
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水が峰入り口には 小辺路の案内看板が建ててありすぐ分かった。
この日スカイライン入り口には「高野龍神スカイラインは凍結、積雪の為
チェーン規制」とたて看板が出ていた。
実際道路は 所々凍結や積雪がありかなり危険な状態であった。
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この看板が小辺路誘導標識。この先この間版が随所に立っていた。
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午前10時少し前に着いて支度をしていると、高野山方面から
走ってきた人がいた。お話しすると高野山を午前8時に出発して
今日は十津川温泉「昴の湯」まで走りぬけ、明日熊野本宮大社に
着く予定とのことだった。やはりトレランは早くて凄いけど
私には真似の出来ないことだ。元気にニコニコと走り去っていった。
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水が峰へは ジグザグに山道を登っていく。
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峠に着く。このあたりが水が峰らしい。
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このあたりが集落跡だそうだ。大股まで8キロ弱だ。
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集落のはずれに真新しい道標が立っているが、お墓がいくつか
置き去りにされていた。
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しばらく歩いて行くと、右上から道路が降りてくる。
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ここで道路に合流するが、この道路が曲者で 結局この小辺路区間は
大半がこの林道を歩かされた。
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林道の眺めは良い。高い山は雪で白くなっている。
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かなり遠くの高い山は、世界遺産大峰奥駈道か、かなり雪で白い。
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思わせぶりな標識だ。やっと林道から左の山道へ入れると思いきや
「小辺路はこのまままっすぐ林道を歩いてね」と言う意味だ。
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御丁寧に赤いテープで×印があり、進入禁止の意味か。
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こういう看板が 幾つも出てきて、その都度がっかりする。
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立派な休憩所があるが、「こんなもの造るより、ちゃんとした熊野古道を
復元せよ」と言いたい。
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「いい加減にしてくれ」と言いたくなるほど、アスファルト道路は続く。
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世界遺産の参詣道を散々ズタズタに壊しておいて こんな下らん記念碑を
立てて喜んでいる。まったく世界遺産があきれるわ。
どっかの村長さんの自己満足のサインまである。
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ここで小辺路は右下に降りよという標識に喜んで降りる。
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久々の山道に喜んで歩く。しかし前を行くトレランのお兄さんの足跡が
雪の上に全く無いのが気になる。
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少し歩いただけで 林道に逆戻り。トレランの人は最初から
林道を走ったようだ。がっかりして もう小辺路のこの区間はあきらめて
引き返すかどうか立ち止まってかんがえる。
しばらく休憩して気を取り直して再び歩き出す。
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かなり長い距離の林道歩きしたあと、「つまらんからもう引き返そうかなあ」
と思い始めた頃、山道標識が現れた。「平辻」の標識がある。
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今度の山道はかなり距離もある。トレランの人の足跡も雪の上に
はっきりとついている。
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お地蔵さんも立っていて、いい雰囲気になってきた。
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ここへ来てやっと林道ではなく、本来の山道を歩ける。
どんどん高度が下がり、日当たりもよく、雪はなくなる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
杉や檜の植林地帯ではないので、自然の森が美しい山道だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しばらく歩くと一旦道路に出るが、
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
すぐに標識が出た。赤い矢印は林道をまっすぐ行けと書いてある。
しかしその上に黒いマジックインクで「KOHECHI LEFT」
と書いてあったので それに従う。さすが 世界遺産の道だ。
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山道はどんどん高度が下がる。膝が がくがくするような急坂だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
やがて木々の間に集落が見え始めた。
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集落入り口の石仏。長い月日の風雨でお顔の彫がきれいになくなっている。
しかし新しい高野槙とかお供え物がしてある。
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大股の集落らしい。ひっそりとして人気がない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しばらく集落の中を歩くと「伯母子岳登山口」の標識があった。
次回はいよいよ小辺路最高峰伯母子岳超えだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
見えているあの山の向こう側から下りてきて、再びあの山を登るのだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
北股川と紅葉を眺めながら、集落の広場でお弁当を食べた。
食後の珈琲を飲んでいると、ポカポカとしてついウトウトしてくる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
食後、今度はあの急坂を登り返す。手元のGPSで確認すると
一気に400m以上登り返していた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このあたりの森は木の葉が全て落ちて丸裸になり、足元に雪が
積もっていた。冬景色だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あのつまらない道路歩きを繰り返して次第に高度を上げる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
駐車場に止めた車がようやく見えてきた。
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歩いた距離がながいのか、一枚に表わせなかった歩いた記録。
実際に歩いた記録は 結局3枚になった。
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歩行距離は17キロ、高度差は500mだった。
大股へ降りる最後の山歩きが凄い坂だったことが分かる。
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世界文化遺産の「高野町石道」や「熊野参詣道小辺路」を歩いて感じたのは
和歌山県職員の文化レベルの低さにあきれるばかりだった。
世界遺産の参詣道を ゴルフ場の中を通したり、みちをズタズタに
壊してアスファルト道路にしたり、ひどすぎた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
しかし奈良県へ入っても小辺路の状況は同じか、もっとひどかった。
私の好きな世界遺産大峰奥駈道の荒廃ぶりに心を痛めた「葉衣会」
や「新宮山彦ぐるーぷ」の方たちが、道を整備したり、山小屋を建てようと
しても、奈良県や十津川村は最初猛反対したという。
前財務大臣「塩爺」の働きで、やっと奈良県や十津川村も参詣道の整備に
同意したという。親しくなったボランティアの方たちから直接聞いた話だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小辺路の今日歩いた区間も、その気になれば林道とは別に 山道を整備して
つなげば、昔の参詣道の雰囲気を再現することは可能なのに、入れそうな
山道にはことごとく「入るな」の意思表示がしてあり、残念だった。
まあこの区間はもう二度と 歩くことは無いだろうし、外国の方に対しても
恥ずかしい区間だった。
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3.大股から伯母子峠へ
2013年12月23日
Part1大股から檜峠へ
part2 檜峠から伯母子峠へ
Part3 伯母子峠から伯母子岳へそして大股へ
Part1大股から檜峠へ
今まで歩いた小辺路は林道歩きが多かったが、いよいよ山岳地帯に入る。
小辺路で最高峰の「伯母子岳1344m」である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ピンクのラインが 今回歩く予定のコース。
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早朝高野山の街中を抜ける。気温マイナス3度、路面はバリバリに凍っている。
この駐車場は「金剛峰寺駐車場」で第一回目にここに止めて水ヶ峰まで歩いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
高野山を抜けて 高野龍神スカイラインに入ると、道路は完全に
アイスバーンだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回のスタート地点「水ヶ峰入り口」の看板に見覚えがある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
スカイラインからの山並みの眺め。一面真っ白な山々だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
標識に従い「野迫川温泉」方面へ曲がる。
とたんに道の雪はすごいことになっている。
ほとんど除雪されていない。数日前にしたままだ。
車の轍を選んで走る。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
どうもこの道路は前回「水ヶ峰」から「大股」へ延々と歩かされた
林道のようだ。この左側の案内標識で気が付いた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大股到着。この集落内はさすがに除雪してある。
気温マイナス3度。支度をして歩き始めたのが午前9時15分。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前回確認した登山口だ。ここから歩き始める。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大股集落の家々の間を抜けて行く。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
はじめのうちはジグザクの道を折り返しながら登っていく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
道沿いのツララがすごい。気温が低いので凍ったままだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
次第に雪が深くなる。先行者の足跡はかなりある。
沢山の人が歩いていったのだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
時々見える遠くの山々は真っ白だ。このあたりはほとんど植林地帯だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
萱小屋到着。歩き出して約1時間だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小屋の内部は新しくてとてもきれいだ。
ストーブや薪、調理用の囲炉裏もある。一人か二人程度なら寝れそうだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
庇の下のベンチで少し休憩する。周りの景色もとてもきれいだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
再び歩き出す。足跡は減り二人だけだ。
ほかの人は雪が深いので引き返したようだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アップダウンを繰り返して歩いていく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
足跡は一人のようだが、先行者の足跡に後続者が合わせているのがよく分かる。
微妙にずれている。私も合わせて歩くほうが楽なので合わせて歩く。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先行者がいて非常に助かる。かなり楽に歩ける。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
植林帯の隙間から時々見える遠くの山で判断するとかなり高度を上げたようだ。
先ほど休憩した萱小屋で標高950mだったのでもう千メートルは超えている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
谷向こうの山々は竜神スカイラインの峰峰か。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
周りの景色もとてもきれいだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アップダウンを繰り返しながら次第に登っていく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
迂回指示が出ているので左のまき道へ進む。
しかし歩きながら上から見下ろすと何も崩れや危険は無さそうだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
また迂回指示が出てきたけど今度は無視して進む。結局
何の危険もなかったので帰りにこのロープは邪魔で危険なので外した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前方になんか標識が見えてきた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
檜峠到着。歩き出して2時間だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Part2へ続く
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
part2 檜峠から伯母子峠へ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここらあたりでやっと植林地帯が無くなり自然の森になる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
森の中を軽快に歩く。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
青空になり樹氷がきれいだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アップダウンを繰り返しながら次第に高度は下がっている。
帰路が険しくなりそうだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
前方に時々見える山が伯母子岳なのかなあ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
護摩壇分岐到着。この地点は私の持つ地図にはない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
こちらが護摩壇山への分岐道らしい。もちろん誰も歩いていない。
私の持つ地図では伯母子岳山頂で護摩壇への分岐があるように
書いてあるけど、地図の間違いだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
伯母子峠へは左分岐で直進は山頂への直登ルートだ。
とりあえず伯母子峠の小屋でお昼ご飯を食べたい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
とりあえず左分岐へ進む。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
突然先行者の足跡が消えた。よく見てもこの方向しか道はない様だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
仕方ないので一人ラッセルで進む。
膝くらいまでの深い雪なので時間も体力も消費する。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
かなり一人ラッセルで進んでいくうちに 再び足跡が現れた。
おそらく先行者は昨日歩いたもので、風の強い尾根道では
吹雪で足跡が消されたものだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ようやく小屋が見えた。立派な小屋だ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
こちらは山頂への道。誰も歩いていない。雪が深そうだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
小辺路を歩いて 初めて出会った立派な道標だ。
同じ世界遺産の奥駆道にはこのタイプの道標がたくさんあるのに。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
山頂と反対方向にも尾根道があるようだが、
雪が深くてはっきりとは分からない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先行者の足跡は峠を越えてそのまま十津川の杉清へ降りている。
伯母子岳へは登っていないようだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
峠から見ると遠くに山並みが見える。
世界遺産の奥駆道だろう。雪で白い。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
小屋へ入り昼食だ。小屋の中は毛布や水などがおいてある。
歩き出して3時間15分。腹減ったなあ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Part3へ続く
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Part3 伯母子峠から伯母子岳へそして大股へ
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いよいよ山頂へ進む。誰も歩いていないのでラッセルは覚悟だ。
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登り始めは順調だった。雪もさほど深くなく、どんどん歩けた。
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周りのきれいな樹氷を眺める余裕もあった。
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次第に勾配もきつく、雪も深くなる。
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かなり雪が深くなる。休み休み進む。
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太腿の上まで雪に埋まりなかなか足が抜けない。
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ついには腰まで埋まる雪の深さになる。
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すぐそこに山頂らしきピークが見えている。
手元のGPSで見ても標高は1315mで、あと高度30メートルなのに。
GPSの地図でも山頂らしきポイントはすぐそこに表示されているが、
もう進めない。残念だが体力の限界なので ここで引き返すことにした。
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振り返るとすばらしい景色が広がっていた。
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遠くの奥駆道も見える。
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下りは早い。雪を蹴散らしすべるように降りる。
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あっという間に小屋に帰ってきた。そのまま護摩壇分岐へ進む。
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今度は護摩壇分岐から再挑戦して登ってみる。
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こちらもラッセルが苦しい。あきらめて下山することにした。
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歩きながら振り返ると高い山が見えた。あれが伯母子岳かもしれない。
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来るときには気が付かなかったがこんな分岐標識もある。
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帰路の檜峠への登りは やはりきつかった。
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ようやく檜峠へ戻ってきた。
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下り道が多くなり下山スピードも速くなる。
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萱小屋に帰着。一安心だ。少し休憩する。あと少しで駐車場だ。
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だいぶ日が傾いてきた。もうすぐ午後4時だ。
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大股集落に無事帰ってきた。やれやれだ。
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実際に歩いた記録。
ほとんど山頂付近までたどり着いていたのに残念だ。
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歩いた高度と距離の記録。
雪が無ければなんでもない高度差なんだが。やはり雪は恐ろしい。
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4 .杉清から伯母子峠へ
201年1月12日
く
今回の小辺路は 前回歩いた伯母子峠を反対側の十津川から登った。
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杉清から伯母子峠への登山道その1
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登山道その2
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杉清集落(五百瀬いもせ とも言う)の伯母子岳登山口。
またこの集落には次の三浦峠への登山口もある。つまり集落の中を
小辺路が通っている。
向こうに見えるのが広場で駐車場。通りかかったおじさんに駐車場を聞くと
親切にここまでつれてきていただいた。「なるべく民家の見える奥に止めて
ください。たまに車上荒らしがいますから」とおっしゃったので 奥に止めた。
時刻は8時45分、気温はちょうど0度。とても寒い。
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登りはじめてすぐに分岐があるがちゃんと標識があり、すぐに道標地蔵がある。
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約30分歩くと「待ち平ら(松平ら)がある。古い石垣があり、状宅跡だ。
昔誰かさんが誰かさんをここで待っていたと説明文があった。
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石畳が現れた。小辺路を歩いてはじめて熊野鼓動らしき雰囲気になる。
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石畳は焼く1キロ近く続いた。
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間違いやすい分岐にはちゃんと英文で標識がある。さすが世界遺産だ。
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なにやら祠が見えてきた。
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水ヶ元茶屋跡だ。ここに茶店が合ったらしい。弘法大師の坐像が鎮座している。
このあたりから雪が現れた。
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雪は次第に増える。気温が低いので、さらさらの粉雪だ。
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やがて山並みが見えてきた。山はうっすらと白い。
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尾根に出ると、風が強い。サラサラの雪で数日前の足跡がすべて消されて、
道が分からない。目印のテープが頼りだ。
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テープを探しつつ、慎重に進む。
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私も帰路に迷わないように テープをつけながら 慎重に進む。
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右側に高い山が見えてきた。あれが伯母子岳か。
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広い尾根筋にきた。雪の季節は踏み跡が分からないので、トラロープが張って
なかったら 完全にお手上げだ。ロープにそって進む。とてもありがたい。
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ここは旅籠の跡だそうだ。江戸時代には既にあったという。
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旅籠の説明文。この周りの広い平らな土地は畑の跡らしい。
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正面にうっすらと雪をまとった山並みが見えてきた。
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雪道を進む。
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凍りついた斜面が現れた。この手前に「巻き道もあります」と案内標識があった。
見たら巻き道の上がり口も凍り付いていたので アイゼンを装着して
この道を進む。
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雪は次第に深くなり、足跡はまったく無い。
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この氷の急斜面がどうしても越えられない。ピッケルを持ってくるのを忘れた。
というより、ピッケルまで要らないだろうとなめていた。10本爪のアイゼンを
蹴り込むが 氷が硬くて歯が立たない。右下は深い谷で滑るととても危険だ。
去年2月稲村ヶ岳の氷のトラバースで滑落した記憶がよみがえる。
あきらめて引き返した。
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いったん引き返してあの氷の谷を高巻きするルートを探すことにした。
引き返すのも急斜面なので慎重だ。
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高巻きして上の斜面を進んだが、あの谷のところでどうしても越えられない。
大きな木の立っている場所から向こうは 急激に落ち込んだ凍った谷で、
左上部へまだまだ谷は続いている。
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右の大木から急激に落ち込んだ谷を越えるため、 見上げるとかなり登れば
越えれそうだが、そこから降りて しかも また帰路に上り返して降りてくるのは
大変なので、あきらめて引き返すことにした。時刻は12時45分、歩き出して
ちょうど4時間経った。
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引き返すのも怖い急斜面だ。ゆっくり一歩ずつ、斜面を崩さないように進む。
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旅籠跡まで降りてきて昼食にする。時刻は午後1時半だ。
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帰路に気づいたのだが、この山もほとんどが植林地帯だ。
歩いていても山の雰囲気はほとんどなく、世界文化遺産の雰囲気もあまり
しない。なぜこんな信仰の山までも丸坊主にして杉檜などの害木を植える
のだろう。信仰の参詣道周囲だけでも木を残せなかったのだろうか。
戦後の林野行政はまったく失敗だらけだ。
国民の財産を国民のお金を使って壊している。
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帰り道は早かった。日が傾くころ神納川が見えてきた。水害で谷が土砂で
埋まっていて、水も濁っている。昔この川に釣りに来ていたころは
きれいな河原と水だった。
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登山口に帰着。時刻は午後4時ちょうど。
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実際に歩いた記録。このコースは山向こう側の大股からのコースよりも
ロングでアップダウンが多く、はるかにタフなコースだった。
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高巻きした部分の詳細記録。あの難所が越えられていたらあと20分くらいで
伯母子峠の小屋へ到着していただろう。
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歩いた高度記録と距離の記録。15キロあるのでやはりロングコースだった。
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5. 五百瀬から三浦峠へ
2014年1月17日
く
前回は奈良県十津川村杉清から伯母子峠へ歩いたが、その杉清集落から
約1キロほど東側の五百瀬集落から南側の「三浦峠」へ歩いた。
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今回歩いたのは、五百瀬小学校の校庭に駐車させていただき、歩き初めて
三浦峠まで往復した。
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前回の登山口のこの地点である。通りかかりの地元の方に駐車スペースを
聞くとここから約1キロほど東に 案内してくださった。
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五百瀬(いもせ)小学校の 校庭に駐車させていただいた。
子供の姿が見えないが、、、。
9時半過ぎにスタート、気温1℃。かなり寒い。
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集落の中ほどに大きな看板があり、登山口はすぐにわかった。
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神納川にかかるこの橋「舟渡橋」(ふなとばし)をわたる。
この橋の看板に「村道五百瀬三浦線」と書いてあり、この山道がなぜ
村道なのか後で分かった。
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橋を渡ったところにもたくさん小辺路の標識があり、「三浦峠まで3時間、
がんばって」と五百瀬小学校の児童が書いた看板もあった。
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山道は何故かきれいに掃かれていた。
これも何故、誰が掃き掃除をしたのか後でわかった。
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この道は山道であり、熊野への参詣道小辺路であるが、村人たちの
生活の道でもあるのだ。車道のない山村の風景がこんなにも、美しいとは
はじめて分かった。
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やがて石畳の道も現れた。さすがに千年を超える信仰の道でもあるのだ。
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かなり山の上のほうまで民家があり、その軒先を掠めるように 道は続く。
この道が「村道」なのがやっと理解できた。村民の生活の道でもあるのだ。
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かなり登ったところに人がいる。なんか働いているような感じだ。
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この方が山道の落ち葉を掃いて掃除していたのだ。聞くと「村に頼まれたから
ボランティアでやっている」とのことだった。お礼を言って通してもらう。
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やがて行く手に巨木が現れた。「巨木の森」だ。
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こんなすごい貫禄の木もある。
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この説明文によると「吉村家」の防風林の跡らしい。
私が生まれた60数年前までこの地で「旅籠」を営んでいたという。
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今は吉村家の屋敷は無いが、「吉村なんとかさんご夫妻」のお墓が
残されていた。
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この旅籠には沢山の熊野への参詣者が泊まり、熊野へと旅立ち、
また熊野からの帰りにも立ち寄ったことだろう。
時の流れを感じて しばし立ち止まり、墓標に手を合わせて先に進む。
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やがて植林帯が消えて、森が現れる。
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道端に石碑が置いてあり、「二十五丁なんとか」と読める。
三浦峠まであと二十五丁(2.5キロ)くらいだ。
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斜面が大きく崩れていて、復旧工事が完了していた。
去年秋の台風で崩れたのだろうが、奈良県は対応が早いなあ。
崩れた山道を放置して知らん顔の河内長野市とえらい違いだ。
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復旧された階段からは眼下に「五百瀬集落」がよく見える。
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水場が現れたので、一休みして冷たい水でのどを潤す。とてもおいしい水だ。
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山道を歩いていくと「バリバリ」と大きな音がする。霜柱が沢山出ている。
気温は低くかなり寒い。風も強くなってきた。
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突然通行止めの標識が出てきた。この先で大規模に崩落したらしい。
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ここでも英文で表記がある。
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迂回路も整備されていてきれいな道だ。
もともと山仕事で使われていた道だろう。
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峠に着いたようだ。手元のGPSでも標高は1000mを超えている。
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ここで本来の古道と合流する。全体の3分の1程度が通行止めで迂回路だった。
去年の台風の被害はすごかったようだ。国道168号線は未だに十津川温泉で
通行止めが続いているし、北山村、十津川村、龍神村を横に繋ぐ国道や県道は
ほとんどが今でも通行止めのままだ。
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三浦峠の標識だ。しかし林道が2本横断している。かなり興ざめだ。
向こうに休憩所がみえる。
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今朝五百瀬集落の民宿で泊まり小辺路を歩き出した若者と一緒に、
ここで昼食をとる。かれは神奈川からやってきたそうだ。
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昼食後若者は十津川へ降りていった。
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ここが十津川への下山口だ。西中まで11キロあり3時間かかるだろう。
そこから十津川温泉まで国道425号線を2時間歩くのだ。
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彼の行動は 一日目が新幹線と電車を乗り継ぎ、高野山を昼過ぎにスタート。
その日は大股まで歩いて大股で泊まり、次の日が五百瀬で泊まった。
今夜は十津川温泉で泊まる予定だそうだ。
彼と山の話をいろいろとしながら食事をしたが、ここは壁が無いので
吹きさらしでとても寒い。気温は氷点下5度程度かそれ以下だろう。
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峠からは眼下に五百瀬集落とその向こうに伯母子岳が見える。
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集落の右奥の高い山がおそらく伯母子岳だろう。ここから見てもかなりの
距離があるのが分かる。前回は時間がかかったはずだ。
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下山を開始してすぐに目に入ったのは、小辺路の山道の周りが無残にも
丸裸にされた山肌だ。どうせどこかの馬鹿な林野庁の職員がどこかの
森林組合に山狩りをさせているのだろう。ひどいことをするもんだ。
文化遺産に対する認識がまるでないなあ。
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一方で黙々と世界遺産の道を清掃する人もいる。
峠まであと二日かかるだろう。ご苦労様です。
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巨木の森に帰ってきた。上から見下ろしてもすごい眺めだ。
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無人と思われる農家の庭先を通る。
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この家のかっての洗い場も今は崩れている。氷が分厚く張っていた。
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こちらの茶畑は刈り取られた形跡がある。
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茶畑の先の脳のう農家は洗濯物が干してあり、生活のにおいがしていた。
しかし車道のない生活ではいずれこの風景も消え行くだろう。
この美しい山郷風景も世界遺産に登録して欲しいなあ。
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舟渡橋に戻ってきた。晴れているがずっと粉雪がちらついていた。
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集落内のみちを歩くがこの道も小辺路だ。やがて駐車した小学校が見えてきた。
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帰着した校庭から見返すと、あの禿山のあたりが三浦峠だろう。
この場所につれてきてくださった民宿「政所」がすぐ右手にあるので、
無事下山したことを伝えてから車を走らせた。
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実際に歩いた記録。これで見ると「船渡橋」から「三浦峠」までの
半分近くが迂回路になっていた。
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今回は歩いた距離も高度も比較的少なく、登り2時間半、休憩1時間、
下り1時間半であった。
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6. 三浦峠から十津川温泉
2014年1月28日
三浦峠へは奈良県十津川村西中から往復して歩き、西中から十津川温泉へは
本来小辺路を歩くべきだが、当時の小辺路は現在、国道425五号線になって
いて そのアスファルトの道を約10キロ2時間近く歩かねばならないので、
ぜんぜん楽しくなさそうなので 車で移動した。
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ト地図その1、西中バス停から出店跡まで。
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ト地図その2、出店跡から三浦峠まで。
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道路わきの広場に駐車して歩き出した。
この橋を渡ると西中集落と西中バス停がある。
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ここが登山口で大きな標識が分かりやすい。
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歩き始めは山道だったが
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すぐに林道に出た。その後何回か山道と林道を繰り返す。
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きれいな農家の横から本格的に山道だ。犬がじっとこちらを見ている。
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この農家の横に登山届けポストがある。林道をそのまま歩いても三浦峠へ
行けるらしいが、当然小辺路の旧道の山道を行く。
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しばらく登ると無人の農家の庭を通り過ぎる。
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この農家の庭先の水場は凍り付いている。とても寒い。
ここへ来る途中の十津川役場付近では気温マイナス3度だった。
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山道はよく整備されている。随所に石垣積みが見られる。
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大きな岩を削った場所もある。
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岩を削り、階段にした場所もある。
昔の人は手作業で大変な作業だったことだろう。
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しばらく山道を登ると矢倉観音堂に到着。
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内部の観音様や、お地蔵さんにたくさんお供えがしてあった。
手を合わせて先に進む。
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五輪の石塔を過ぎる。古めかしい石塔だ。
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ここが 出店の跡らしい。わずかばかりの平地になぜか杉の植林をしていて、
杉の木の根が石垣を破壊して、周りの土地も雑木で荒れ放題だ。
なぜこんなことをするのだろう。世界文化遺産としての 価値がまったく
分からない、理解できない連中のすることだ。
貴重な史跡を保存したり、そのまま置いておくことは出来ないのだろうか。
奈良県、和歌山県ともに 文化遺産に対する扱いがお粗末過ぎる。
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急斜面が崩落している場所もあった。慎重に通り抜ける。
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古矢倉(ふるやぐら)跡に来た。ここまで来ると少し雪が残っていた。
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古くてお顔も判別できない石仏がいらっしゃる。
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ここは見通しもよく、遠くの山もよく見える。
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それからしばらくは尾根道歩きだ。
尾根の両側は鋭く落ち込んでいて、急斜面が続く。
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時々右手の山の中に家がみえる。
説明看板があり、「今西集落」と書いてあった。この西中集落に来る途中、
間違えて「今西集落」へ行き、あわてて引き返した場所だ。
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進む山道の前方上部に空が見え、「いよいよあそこが峠だ」と思い近づくと、
次の坂道が現れる。それを何回か繰り返す。
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この先が今度こそ峠のようだ。
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見覚えのある小屋が見えてきた。
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前回休憩した小屋だ。神奈川県から来た若者と一緒にお昼ご飯を食べた
場所だ。地面はバリバリに凍っている。
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今回もこの休憩所でお昼ご飯とする。今回も山道の途中で関東から来た
若者とすれ違った。彼も今夜十津川温泉で宿泊し、明日熊野本宮へ行くと
言っていた。
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小さく見える五百瀬集落の向こうに「伯母子岳」が見える。
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前回ここへ登ったスタート地点の五百瀬集落だ。
五百瀬からここまで2時間半かかったが、西中からここまでは3時間15分
かかった。こちらのほうが少し距離が長いようだ。
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昼食後直ちに下山する。登ってくる途中あちこちで見た道沿いの石垣は、
どうも棚田の跡のようだ。ここにも杉の植林をして、その根が石垣をどんどん
破壊している。浅知恵の林野行政の仕業だ。
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「ここは松茸山じゃけん、入ったら駄目だけん」とあちこちに立て札がある。
おまけに針金でフェンスまでしてある。世界遺産の参詣道に、なんとも無粋な
看板だこと。せっかくイニシエの参詣道の雰囲気を味わおうとやってきたのに、
これではなあ。なんともはや。これもなんとかならんのかいなあ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ようやく最終民家(今は無人)まで降りてきた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
眼下に西中集落が見えてきた。あともうすこしだ。
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下り道はこの黄色い道を降りてきた。登りの時は、分岐点に標識が無かった
ので、そのまま林道を歩いてしまったようだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
あの前方の山並みの更に奥の山に三浦峠があり、そこまで行ってきたのだ。
それにしてもこの橋の鉄骨は大丈夫かいなあ。錆でぼろぼろだけど。
たまに村営バスが走るくらいだけど、危険やなあ。
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国道425五号線は十津川支流西川沿いの道だ。本来ならこの小辺路道の
アスファルト道路を2時間かかって歩き、十津川温泉へ行くべきなのだが、
ここから車で移動した。
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道の途中に川合神社があったので、立ち寄ってみたが「祭神その他説明文」は
まったくなかったので、どなたを祀っているのか分からなかった。
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その近くの「西川第一小学校」に立ち寄ってみた。校庭では 元気に子供たちが
走り回っていた。山道で沢山見てきた、廃屋の進むこんな山里のなかにも
「子供たちが沢山いて、小学校に通っている」ことに 驚いて感心した。
「山村崩壊」とか「限界集落」とか言われて久しいが 少し安心した。
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十津川村営の「ホテル昴の郷」に到着。
ホテルの敷地の中を小辺路が通っている。向こうがホテル棟だ。
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ここの露天風呂は「寝湯」があり寝転んで星空を見ながら入れる。
昼間の疲れを癒し、さあ 明日はいよいよ小辺路最終章の熊野本宮大社だ。
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実際に歩いた記録。登りは3時間10分、下りは2時間だった。
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標高差は700m。三浦峠は標高1065メートルだった。(手元のGPSによる)
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8. 十津川温泉から果無峠を越えて熊野本宮大社へ
2014年1月29日
高野山から歩いてきた「熊野参詣道小辺路」もいよいよ最終章である。
Part1 十津川温泉から果無峠(はてなしとうげ)へ
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十津川温泉から果無峠への山地図
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朝の冷気の中、湯煙が盛んに上がっている「昴の郷」。
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ホテルを8時30分にスタート。
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二つあるトンネルのうち、向かって右の古い小さなほうのトンネルを抜ける。
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トンネルを出たらすぐ吊橋をわたる。
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標識がよく整備されていて、迷うことは無い。
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ダムを見下ろしながら登っていく。
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ここからが山道の始まりだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
すぐに石畳の道が現れた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
きれいな石畳の道が続く。
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ダムと温泉街を見下ろしながら高度を上げていく。
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道端のお地蔵さんには花が備えてある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
やがて果無集落に入る。ここの中を歩くのが楽しみだった。
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集落の中を石畳の道が続く。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
民家の間を通っていく。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大木をくりぬいた水桶に湧き水が流れている。一口飲ませていただいたが、
とてもおいしかった。夏はスイカとかトマトを冷やすのだろうか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
椿の花一輪がなんともいえない風情がある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
壁のディスプレイもなかなか雰囲気がある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大きな水槽には大きな鯉が泳いでいた。食料なのだろうか。それともペットか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
少し畑の道を歩かせてもらった。鹿、いのししの被害が多いらしく、畑はすべて
ネット囲いがしてあり、集落の出入り口にも害獣除けの扉があった。
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民家の屋根の向こうにはこれから越えていく「果無(はてなし)山脈」が
待ち構えている。まだかなり距離はありそうだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
集落を出ても石畳の道は続く。
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小辺路の道沿いには峠の向こうとこちらで合計33体の観音様がいらっしゃるそうだ。
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しばらくすると広い場所に出た。「天水田の跡」と説明看板があり、雨水だけを
たよりに棚田があったらしい。すぐ近くには茶店と旅籠の跡があった。
このご夫婦は昨夜ホテルが同じ方で今日はここまで歩いてきて、ここで引き返す
とおっしゃっていた。「本宮大社まで行きたいのですが、もう体力がありません」
とさびしそうにおっしゃった。
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すぐ近くに「山口茶屋跡」があった。
ここにも無残に杉の植林をして、遺物を破壊していた。世界文化遺産は
どこの国でも「保護復元」するのが原則なのに、和歌山県も奈良県もどんどん
破壊している。県庁職員、文化庁職員、みな程度の低い連中だ。情け無い。
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果無山脈が大分近づいた。
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果無観音堂到着。峠までもう少しだ。
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中には観音様とお不動様が安置されている。毎月ここで行事があるそうだ。
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お堂の近くに水場があるが氷だらけだ。寒いはずだ。
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峠まであと1キロだそうだ。
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さらに登っていくと突然感動の大パノラマが広がっていた。
ダムと温泉街の向こうには、白く雪を被り、朝日に銀色に輝く「世界遺産
大嶺奥駆道」が見える。世界遺産の参詣道を歩きながら別の世界遺産の
参詣道を眺められるのだ。
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山上ヶ岳稲村ヶ岳周辺の山だろう。手前に黒くとがった山が「大日岳」だろう。
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更にその右には奥駆最高峰の八剣山(八経ヶ岳)がみえる。
左手前が「頂仙岳」、左奥が弥山だろう。
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やがて果無峠に到着した。
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最終章 熊野本宮大社へ Part2
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果無峠(はてなしとうげ)から小辺路終点大斎原(おおゆのはら)へ。
明治時代の大水害で熊野本宮大社の建物がすべて流された。当時の建物は
熊野川の中州にあったが、現在は日本一の大鳥居が立てられて聖地として
保存されている場所が「大斎原」である。
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果無峠を越えて熊野川まで下りてくると、世界遺産の3つの参詣道
「大嶺奥駆道」、「熊野参詣道中辺路」、そして「小辺路」が本宮大社付近で合流する。
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果無峠は植林された杉が生い茂り、せっかくの世界遺産の峠道は、ぜんぜん見通しがない。
昔の人はここまで歩いてきた 高野山や十津川の山々を見て、そしてこれから行く先の熊野川を見て、
感動したことだろうに。
自然の森なら眺望がきかなくても仕方が無いが、この「何が何でも植林するぞお」という
植林政策はなんとかならんのかいなあ。
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峠を越えると快適に下り道を歩く。ところどころに石畳が残っている。
峠直下で またしても古道の修理と清掃をしている地元「七色集落」の
ご夫婦に出会った。いろいろお話を伺った後、お礼を言って先を急いだ。
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しばらく山道を下ると、ついに熊野川が見えてきた。ゴールにまた一歩
近づいた。
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更に歩き続けると、終に「本宮町」が見えてきた。
高野山を出発して峠をいくつも越えて、継ぎながらではあるが、遥遥とここまで歩いてきたので感動的な眺めだ。
しばらく立ちすくんで、町を眺める。
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この景色を見ながらお昼ご飯にする。
昨夜ホテルで「夜食付きプランですから」と言って、晩御飯の後おにぎりと漬物、海苔を頂いた。
それに私が常に携帯している「フリカケ」をかけて持参した。それとポットに入れて持参したお湯でカップ麺をつくる。
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昼食後再び山道を下る。ところどころに石畳の道は続く。
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下に見えるのはどうも七色集落のようだ。先ほどお会いした山道の清掃と修理をしていた
ご夫婦は、ここから登ってこられたのだ。かなりの距離だ。
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七色分岐に到着した。そのまままっすぐに「八木尾」へ進む。
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突然民家の庭先に出たが、そのまま通る。
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国道に出た。ここから国道歩きだ。
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振り返ると山道からここに石段を降りてきたのだ。
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熊野川沿いの国道の脇の歩道を行く。これが現代の「小辺路」だ。
車道を歩かされなくて、まだましだ。
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歩きながら振り返ると、超えてきた「果無山脈」が見える。あの山の向こうが十津川温泉だ。
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本宮町の町の中に入ると、突然「小辺路」の案内標識が消えた。その代わりに現れたのが、
「中辺路(なかへち)」の標識だ。
困り果てて、地元の人に聞くが、誰も「小辺路」なんて言葉を知らない。6人目に聞いた人が
知ったかぶりをして教えてくれたのが、「中辺路の何とか王子」へ行く道だった。
すぐに間違いに気づき引き返して、7人目に聞いた「教養のありそうな年配の紳士」がやっと正確に
次の小辺路のポイント「三軒茶屋跡」を詳しく教えてくださった。
和歌山県や田辺市の職員は もっと地元の本宮町の人を教育せなあかんなあ。世界文化遺産が泣くよなあ。
外国の人も歩きに来る世界遺産の参詣道を、肝心の地元の人が知らないなんて。恥ずかしい限りだ。
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ようやく探し当てた案内標識。でもこれは「小辺路」の標識ではなくて、「中辺路」の標識だ。「三軒茶屋跡」へ進む。
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歩いてきた道が「小辺路」であの上を通っているのが、「中辺路」だ。この「三軒茶屋跡」で二つの
参詣道は合流して最終地熊野本宮大社へ向かう。
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合流地点の案内標識。よく見て驚いた。
この標識は「中辺路」の標識で、小辺路の案内は取って付けた様に「小辺路高野山へ78キロ」だとさ。
まったくふざけとるなあ。
なんで「小辺路八木尾へ2.2キロ」と普通に書けないのかなあ。
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最後の峠からは、大斎原の日本一の大鳥居が見えた。さあいよいよ最終章だ。
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熊野古道小辺路、中辺路もいよいよ終点だ。石畳の道をゆっくりと歩く。
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本宮大社の境内に立つ鳥居に着いた。でもここは現在の神社境内の裏側のはずだ。
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境内に入ると「お疲れ様でーす」と別嬪さんがお出迎え、と思ったら写真屋さんの女性たちでした。
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いよいよ神門を潜って境内に入る。
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本殿に参拝する。この地は大和政権の祖先達、九州物部族(秦国人徐福の子孫たち)が大和へ
向かう途中上陸した熊野なのである。
当然祀られているのは、大和朝廷の祖先徐福(記紀では素戔嗚すさのお と書かれた)を祀っている。
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ゴールに向かい石段を降りる。神社正面入り口へ向かっているわけだ。
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ここが正面入り口だ。「ヤタガラス」がはためいている。
物部王朝軍は九州を出発して和歌山に上陸したものの 高倉下(たかくらじー初代大和大王
天の村雲の異母兄弟)の子孫たちに激しく抵抗され上陸を諦めた。
熊野に再上陸した物部軍をこの地から大和の磐余(イワレ)まで導いた大和登美家(古代出雲王朝の分家)の
「加茂建津之身」に感謝して、物部ウマシマジたちは 末代まで「ヤタガラス」として 加茂建津之身を祀ったという。
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いよいよゴールが近づいた。日本一の大鳥居だ。
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大きな鳥居を潜る。鳥居の最上部正面には「ヤタガラス」が金色に光り輝いている。
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うっそうとした杉木立だが、これも「明治の大水害」の後で植えられたものだろう。
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ここが大斎原で、この台地の周りには、昔の建物の石垣がのこされている。
終に小辺路のゴールに到着した。感無量だ。
歩き始めたのが8時半、時刻は午後4時ちょうど。
予約して待っていてくださった「熊野第一交通」のタクシーに乗せてもらい直ちに十津川温泉昴の郷へ引き返す。
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実際に歩いた記録、十津川温泉から七色分岐まで。
果無峠から大斎原まで
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高度と距離の記録
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小辺路を歩き終えて一番感じたことは、「林道歩きが多すぎる」ということだ。
性格に計ったわけではないが、感じとして全行程の半分以上がアスファルト
舗装の林道や国道だと思う。
同じ世界遺産の参詣道の奥駆道も確かにアスファルト道路を歩くことがある。
吉野界隈や古谷の宿以南の十津川村周辺などだ。しかし全体の長さからすれば
2割以下のような気がする。
小辺路のアスファルト林道のすぐ横には、山道があるのだが「立ち入り禁止」の立て札が
あちこちに立ててあり、入れない。
世界遺産をもっと大切に考えて、山道をもっと歩くように復元すべきだし、して欲しいと思う。
日本は文化国家らしいので。
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