世界遺産熊野古道中辺路を歩く


中辺路は田辺市から 山の中を通り熊野本宮大社へ詣でてさらに 
熊野那智大社、更に 熊野速玉大社へ詣でる参詣道です。


1. はじめに



※地図は メイツ出版 熊野古道より

世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のうち「熊野古道中辺路」は紀伊田辺をスタートして山に入り、

熊野本宮大社、熊野那智大社、そして熊野速玉大社へ詣でる参詣道である。この道を少しずつ歩いてみた記録です。

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2014年7月2日 滝尻から近露まで

2014年8月21日 小広峠から熊野本宮大社へ

2014年9月2日  請川から小口自然の家へ

2014年9月3日  小口から熊野那智大社そして補陀洛山寺へ

2014年9月4日  三輪崎駅から高野坂、熊野灘を経て熊野速玉大社 へ

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2 滝尻王子から近露王子へ



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2-1 滝尻から高原へ

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 滝尻王子から十丈王子までの道 

2  

十丈王子から近露までの道 

※ 距離、地図はいずれも「熊野古道館で頂いた田辺市作成の古道案内地図より 

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公共トイレの駐車場に車を止めて歩き出す。右の建物は土産物、鮎のオトリなどを売っていてその向こうから熊野古道へ入る。

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滝尻王子野社に参拝してスタート。

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この道標が道中続いていると 案内書に書いてある。今日のゴールの近露 王子が26番だそうだ。

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社の横の道を歩き出す。

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歩き始めは石畳と石段の道でなかなか雰囲気がある。今まで歩いた世界遺産の道には無い雰囲気だ。

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いきなり急坂が始まる。体を慣らす為 ゆっくり登る。

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滝尻王子の社を下に見て 登っていく。

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道はジグザグに山を登って行く。

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道には番号道標以外にも古道標識があり、安心だ。

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「胎内潜り」の岩に来た。案内看板には「女性が潜ると安産になる」と書いてあるが、狭くてリュックを担いだ私には無理だ。安産は要らないので まき道を行く。

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最初の王子「不寝王子」に到着。名前の由来は不明だが 「ねず」の当て字らしい。

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気持ちの良い石段が続く。歴史を感じてなかなか良い雰囲気だ。外国人に人気の道らしい。

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しかし中にはこんな場所もある。間伐をやりっぱなしでほったらかしだ。和歌山県や田辺市も 「世界遺産」の意味を考えて 古道の周りは植林や間伐をもっと控えて欲しいなあ。

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古道と分岐した「展望台経由の新しい道」が250メートルあると標識にかいてあったので そちらを進む。山頂からは滝尻の町が眼下に見える。

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向いの高い山には鉄塔やタワーらしきものが見えるが、来るときに通ってきた竜神スカイラインの護摩壇山か。

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今度は石畳の道を どんどん降りていく。

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道の横に「針地蔵」と書いたお地蔵さんがいて、きれいな花や食べ物がお供えしていった。

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再び山道を登っていくと 山頂にテレビアンテナがある。何とかならんのかいなあ、この会社は。強制的に国民から集金はするが、世界遺産の道にこんなものをおったてて、平気なんやなあ。

普通の神経があれば 目隠しでカムフラージュするとか もう少し目立たない場所に設置するとかするのになあ。無神経な会社だ。

この道は台風で崩れたときには、復旧工事の材料もコンクリートブロックなど新建材は使わないで、石、木などで工事をするなど気を使っているというのに。(後ほど近露 の茶店のお上さんに聞きました)

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しばらく歩くと林道に出て、集落がある。高原集落だ。

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高原熊野神社に参拝していく。

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祭神はもちろん「熊野速玉男の命」、大和朝廷が自分たちの祖先「徐福」の名前を変えて祀った神だ。横にちゃんと 別名のスサノオの名前もある。

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神社横には大きな看板が立っている。「山歩きの人間はトイレを使うな」ときたもんだ。

なんとも「おもてなし」のこころが欠如した村民だこと。四国の人はみなお遍路さんにおもてなしをするっちゅうのに。心構えが 四国の人とはえらい違いだ。

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その少し先に行けば、ちゃんとトイレはあり、みやげ物まで売っているが あんな意地悪されて 誰が物を買うか。

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その広場は展望広場になっている。あの山並みは「果無山脈」だと書いてある。

小辺路の最終コースで あの山を越えて本宮大社に行ったことを思い出した。

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「高原集落」の中の道はきれいに整備されている。花がいろいろ咲いていてきれいだ。

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廃物利用の水車がくるくる回って、ハイカーを和ませる。

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道の脇には馬もいてびっくりした。ポニーのように見えたが。

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ここは茶店だけど、今日はお休みらしい。土日だけ営業かもしれない。

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その2へ続く

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2-1高原から近露まで

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花や民家を見ながら、キョロキョロして歩いたが、この村はずれのお堂からまた山道になる。

私が見ても楽しい道だったので、外国人トレッカーにはかなり面白い道だろう。

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きれいな石畳が続く。

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このコースは人気のコースと案内書に書いてあるとおり トイレを併設した休憩所もいろいろある。

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道の横に 突然ため池が現れた。なかなか神秘的な雰囲気だ。

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長い登り道が続く。

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大門王子到着。このあたりに昔は本宮大社の大門があったという。

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ここでやっと半分歩いた。8時40分にスタートして、3時間かかった。

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少し歩くと「十丈休憩所」があった。ここで昼食にする。時刻は11時40分だ。

12時に歩き出せば 残りの道に3時間かかっても午後3時には近露に着くだろう。

帰りのバスは3時代に3本あるので安心だ。

手元のGPSでは標高が600mを超えているので、後はくだりの道が多そうだ。あと2時間少しで着くだろう。

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この標識のすぐ裏手に、「悪四郎山」があるそうだ。このあたりが一番標高の高い場所かもしれない。

手元のGPSでは標高は700m前後だ。

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道は少しずつ下りになる。随所に石垣が積まれてきれいな山道だ。

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大坂峠に着いた。平安時代に熊野参詣をした藤原のなんとかさんが「この坂を大坂という」と命名したそうな。

この地を通った花山法皇が読んだ歌が石碑に彫ってある。

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大坂峠で林道を横切る。横切る場所は気を使って石畳が敷いてある。

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峠付近に咲いていた「駒継ぎ」の花。馬を繋いでも折れないくらい強い木らしいけど ほんとかなあ、細い木だけど。

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雰囲気のある石畳の道をどんどん下る。

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大坂本王子到着。この名前は大坂の麓にあるから大坂本だと説明してある。

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道を下っていると時々 右手の木々の間から道路が見える。地図を見ると国道311号線のはずだ。

道の駅らしき建物も見える。

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約50メートルくらいか、少しだけ道路を歩く。今回のコースでは道路を歩くのは初めてだ。

奥駆道も吉野や十津川あたりでは舗装道路をたくさん歩かされたし、小辺路に至っては、

半分以上が道路歩きだ。この中辺路は 今のところ古道の保存状態が非常にすばらしい。

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終に「24番標識」通過、あと少しだ。

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このあたりから、笹百合の花が目に付くようになった。ピンクや白の笹百合が山道に咲いて目を楽しませてくれる。

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道もきれいになり、歩くペースもどんどん早くなる。

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古道から少しそれるが 標識どおりに歩くと「牛馬童子」の像がある。

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中辺路のシンボルマーク的な有名な像だ。陰険な藤原一族にだまされて出家させられた花山法皇の熊野詣の姿だという話しもあるそうだ。

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山道を更に下ると休憩所に出た。恐らく最後の休憩所だろう。

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休憩所からは近露 の町全体が見渡せる。やっと着いた。

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最後の石畳の道をどんどん下る。枯れた笹の葉で覆われているが石畳の道だ。

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広い道路に出たが 肝心の道標が見当たらない。

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周りを良く探すと橋の袂に立っていた。26番標識なのでこのコース最後の標識だ。

安心して橋を渡り町へ進む。地図の通りに川を渡るのだ。

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近露王子到着。社に参拝して無事到着を感謝する。時刻は2時10分だ。

歩き出して5時間半で到着した。そのうち20分はお昼の休憩だが。

バスは3時6分なので少し町を散歩する。

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町を歩いていると一軒の民宿の前に七夕の短冊がたくさん飾ってあった。

ご主人に聞くと「この民宿で泊まってもらったお客さんが書いた願い事の短冊」だそうだ。

そうかもうすぐ七夕さんなのだ。

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「箸折れ茶屋」という街中のお茶屋さんに入り、ちょうどおなかが空いたので「玉子かけご飯を注文した。

これに食後のほっとコーヒーが付いて500円なり。

ここのお上さんに聞くと、この町の民宿に泊り中辺路を通して歩くのは ほとんど外国人だそうだ。

大半の日本人はクルマか観光バスでやってきて、そこらへんの古道をチョロット歩いて 引き上げるそうだ。

外国人観光客のトレッカーは山道の景色にうるさいので、崩れた山道の復旧工事も 

古い材料を使うとか とても気を使うらしい。

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明光バスのバス停に着いてバスを待つ。バスは他にも竜神バスもあり、バス停も時間も違うので 要注意だ。

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滝尻王子から近露王子まで5時間かかって歩いた距離を路線バスは20分で帰ってきた。料金は730円だ。

このコースの人気の秘密は バス便が多くもとの場所に帰ってくるのが簡単なこともあるのだろう。

マイカーの回送サービスもあり、この「滝尻熊野古道館」で受け付けてくれる。

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中へ地を歩く今後の参考の為に「熊野古道館」に入ってみた。中辺路の案内地図もここで頂いた。

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実際に歩いた記録 その1

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実際に歩いた記録その2

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高度と距離の記録

熊野古道館で頂いた地図では今回のコースの距離は12キロだが実際は寄り道などもあり、15キロ歩いていた。

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今回歩いたコースは ほとんどが山道でしかもよく整備されていた。さすが人気のコースだけある。

林道や国道との、横断箇所はあったが 舗装道路歩きもなく楽しく歩けた。

この道に多いという外国人の方も 安心して楽しく歩けるのではないだろうかと思った。 

同じ世界遺産の道でも ゴルフ場の中を歩く「高野町石道」、大半が舗装道路歩きの「小辺路」

などとは違い、道も景色もよく保全されている。同じ和歌山県でもこの違いは なんなのだろう。
 

また女性が入れない場所のある「大嶺奥駆道」は 途中退却ルートが極端に少なく バス便も

169号線沿いに一日1本と極端すぎる。
 

それらの道に比べて バスの便が多いこの道は安心して歩けた。

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※バスの時刻表 http://www.ryujinbus.com/shuttle_bus/time_fare/h26_hongusen_jikokuhyo.pdf

中辺路観光協会

http://www.nakahechi.jp/index.html

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3小広峠から本宮大社へ赤城越え、大日越え

                        2014年8月21日

近露から小広王子まではほとんど林道を歩くらしい。それにこの区間はバス道と並行しているの

でいつでも歩いてバスで帰れるので また今度歩くことにする。

問題は近露から熊野本宮大社の区間が長距離でアップダウンもきつく、難所だ。

そこでバスで近露から小広峠へ行き そこから歩くことにする。

それでも所要時間は 案内地図によれば 6時間半で、午前9時6分のバスで小広峠へ行き 

9時16分から歩き出して、本宮大社発の最終バス17時16分に間に合わなくてはならない。

(案内地図のコースタイムはかなりの健脚の人だ。前回はかなり余分に時間がかかった)

休憩時間をいれても8時間しかなく、気合を入れて歩こう。

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3-1 小広峠から本宮大社へ

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地図1小広峠から熊野古道へ

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地図2迂回路から三越峠の休憩ポイント

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地図3赤木越え

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地図4最後の難所 大日越え

いずれもピンクラインが予定のコースを示す。

 地図は 前回滝尻の「熊野古道館」でもらった案内地図だ。

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その1 小広峠をスタートして三越峠へ

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9時6分近露「なかへち美術館前」発の明光バスで小広峠着。

9時15歩き出す。帰りの最終バスの発車まで八時間ちょうどだ。

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小広トンネルの上を歩く。

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ここから熊野古道が始まるらしい。

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このあたり 岩タバコの花が満開だ。

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この標識から山道だ。

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きれいな休憩所の脇を過ぎる。

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きれいな石畳の道を歩く。

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お地蔵さんにはお供えがしてあった。

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熊瀬川王子を過ぎる。

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急坂が続く。体が慣れるまで ゆっくりと登る。

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ワラジ峠到着。

ここでGPSのスイッチを入れ忘れてたのに気づきあわてて入れる。

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今度は石畳の下り道が続く。気持ちよく歩いて降りる。

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突然林道に出た。

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ここから先の熊野古道は通行止めだと書いてある。地すべりの危険があるそうだ。案内地図の通り、迂回路を行く。

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迂回路を歩き 三越峠で昼食

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しばらく林道を歩き、案内の通り 左へ分岐し川へ降りる。

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この橋を渡り、再び急坂を登る。

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山道のあちこちに紫色の花が咲いている。

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この花は「臭木(くさぎ)」と言うかわいそうな名前をつけられた木だ。別に臭くは無い。かわいい花だ。大木にもなる。

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相変わらず急な登りが続く。

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先ほど越えた川の水音はもう聞こえないほど高く登った。

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峠らしきところに出た。

手作り標識がぶら下がっていて「岩神峠671m」と書いてある。

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今度は急な下り道をどんどん降りていく。

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林道に出た。

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しばらく林道を歩くと、右へ分岐の標識がある。

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川沿いの道をしばらく歩くと 建物が見えてきた。

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地図に出ていた 蛇形地蔵だ。

古代出雲王朝で 出雲族が拝んだ蛇形の神さんと思っていたら全く違う。この地蔵さんの背後の石が 蛇の鱗の模様をしているのでこう呼ぶのだそうだ。

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他にも石のお不動さんやお地蔵さんが祀ってある。

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ここで本来の熊野古道と合流する。ここからも逆に入れないようにしてある。

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川を渡る。深い水の中に魚が見える。

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湯川王子に到着した。時間が無いのでそのまま通過する。

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このあたりの山道を歩いていると、住居跡のような石垣が散見される。昔はこの街道沿いに茶店や民家がたくさんあったのだろう。

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道は次第に上り坂になっていく。三越峠へ向かっているのだろう。

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林道に出た。石畳の上を歩いていく。

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三越峠関所と書いてある。ここから山道を下るのだろう。

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その横にきれいな休憩所とトイレがあったので、ここでお昼ご飯を食べることにした。

9時15分に歩き出して、ちょうど12時だ。2時間45分かかっている。案内地図では2時間30分と書いてある。ちょっと遅いがまずまずのペースだ。

ここで15分の食事休憩をした。

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その2へ続く

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3-2 小広峠から本宮大社へ

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12時15分に再び歩き出した。案内地図ではあと4時間かかると書いてあるが最終バスまでちょうど5時間だ。さあ急ごう。

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ここらあたりはかなり道が崩れた跡が見える。去年の台風のせいか。しかし復旧は自然の材料で、極力昔の面影を残す気配りが感じられる。

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同じ世界遺産の「高野町石道」をゴルフ場の中を通したり、世界遺産の小辺路をほとんど林道歩きさせる なんて馬鹿なことをする和歌山県としては、珍しい気配りだ。他の世界遺産にもちゃんと気を配れよ、和歌山県の役人ども。

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廃屋のあとも何箇所か過ぎる。人が住まなくなると崩れるのは早い。

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なんと 突然工事現場に出た。

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山がすっぽり崩れている。凄い斜面崩壊だ。足早に過ぎる。怖い怖い。

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林道をしばらく進む。この林道は熊野古道だ。ここで右へ降りる指示が出た。

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林道と別れて川沿いの道を進む。モミジや桜の葉は少し色づき始めている。

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このあたり珍しい花が沢山咲いていた。初めて見た花なので 後で調べると雁草(かりがねそう 別名帆掛草ほかけそう)というきれいな花だ。

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なんか分岐の標識が出た。見るとここが分岐点のようだ。

まっすぐ進むと本来の熊野古道で 水呑王子、伏し拝み王子を経て三軒茶屋で「小辺路」と合流する道だ。

私は今年1月に小辺路を歩いているので ここで 「赤木越え」と呼ばれる山道を進むことにする。右分岐して橋を渡る。

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川沿いの道と分かれて ジグザグに高度を上げる。

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急坂はかなり続く。

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この道標のところで 峠のようになった。やれやれだ。

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今度は尾根道になった。軽快に飛ばして時間を稼ぐ。

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道案内の道標も今までとは違う。今までは「中辺路」の何番と書いてあったが この道は「赤木越え」の何番と書いてある。

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52

右手に時々民家や田んぼが見える。遠くにも山が連なっている。コンパスで見ると 東に向かって歩いているので 右手は南の方角だ。あの山の向こうが熊野灘か。昔の人もそんなことを考えて歩いたのか。

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53

鍋割り地蔵に到着。昔この地蔵さんの近くで 偉いお坊さんの従者が鍋でお湯を沸かそうとしたら、鍋が割れて料理ができなかったと書いてある。

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54

見晴らしの良い下り道をどんどん行く。滑って怪我をすればもう今日中には帰れないので 注意深く降りる。歩き始めてから 誰にも合わずに歩いている。

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地図には「お大師様」と書いてあるが、回りには説明看板はない。

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56

柿原茶屋跡に到着。今も廃屋が残っているので、最近まで茶屋があったのだろう。裏手には お墓がいくつかあった。

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どんどん道を下っていく。時々下から車の音が微かに聞こえてくる。湯の峰温泉は近いのかもしれない。

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石段のあたりまで降りてきたら、急に硫黄の匂いがしてきた。

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湯峰温泉に出た。

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これも熊野古道だ。背中のリュックを石垣にこすりながら降りる。

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大日越えに続く

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4. 湯の峰温泉から大日越えで熊野本宮大社へ



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有名な「ツボ湯」だ。「受付で料金を払ってから、順番を待て」と書いてあり、中から大きな声で 英語が聞こえてきた。外人が入っているようだ。

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湯気と硫黄の匂いの立ち込める温泉街には、びっくりするぐらい外人が多い。

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道が分からなくなったので、「東光寺」にお参りして 地元の方に道を聞く。

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4-1 いよいよ最後の難所 大日越えで本宮大社へ

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この石橋の袂に標識があり、ここが熊野古道と書いてある。何のことは無い、壷湯のすぐ上だ。

時刻は15時20分。案内地図によるとここから本宮大社まで 大日越えで70分と書いてある。最終バス発車まで あと110分くらいあるので なんとかバスには間に合いそうだ。

さあ最後の山越えだ。

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ここから最後の難所「大日越え」が始まる。気合と力を振り絞って歩き出す。

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早速岩を削った 急な階段がお出迎えだ。

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疲れきった体に 急坂はこれでもかこれでもかと 続く。

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どうやら あれが峠のようだ。

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峠には磨崖仏があった。

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かなり古くて形がよく分からないが、右が道祖神のように見え、左が「大日如来」のようだ。「大日越え」の由来かもしれない。

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この大日越えのみちの道標も今までとは違う。大日越え何番と書いてある。

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今度は最後の下り道だ。急坂なのでゆっくりと降りる。

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建物が見えてきた。地図には「月見が丘神社」と書いてある。

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何やら祀ってあるが 「月読みの神(つくよみ)」かも知れない。

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熊野は九州物部家が最初に 大和へ抜けた通り道なので 出雲系九州宇佐王家で盛んだった

月読みの神は 物部勢が熊野に 持ち込んだのかもしれない。

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この大きな岩の足元にも 何やら祀ってある。古代出雲族が信仰し あちこちに祀った

「クナト大神」の化身の 磐蔵かもしれない。

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どんどんと下る。もう街の喧騒が聞こえてきた。

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道端には秋の花 彼岸花が咲き乱れていてとてもきれいだ。

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台湾原産の帰化植物「高砂百合」が咲き乱れる斜面を眺めながら歩いていると、

本宮町の集落に出た。最後の難所「大日越え」も終に終わった。

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本宮町のメインストリートを歩く。やれやれ、もうすぐゴールだ。

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歩きながら右手を見ると 大斎原(おおゆのはら)の大鳥居が見えるが そのまままっすぐ 本宮大社へ進む。

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82

ついに本宮大社にゴールだ。時刻は16時40分。やれやれバスに間に合った。

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九州物部家(徐福の子孫)の第一回目のヤマトへの東征は 紀の国で「高倉下(たかくらじ)」

の子孫に 手強い反撃を受け 総大将 物部の五瀬が戦死した。 弟のミケイリたちは 

その後熊野へ南下して、上陸するも再び反撃を受けて前進出来ず 熊野川中州(今の大斎原)で

陣取ったきり 動けずにいたという。
 

しかしひそかに使者を送り 大和の国の登美家に案内と協力を頼んだという。そして 

古代出雲王家の分家、大和の登美家当主 加茂建津乃身の案内で無事大和の磐余(いわれ)

に入る事ができたので、物部家は末代まで ヤタガラスとして加茂建津乃身に感謝を表したという。
 

この後150年後の 九州物部家の第二次東征でイクメ大王が生駒山を越えて大和入りしたことと

あわせて 記紀では「神武東征」 と 一つの事件に書き換えた。
 

出雲人としての私は、主祭神 の素戔嗚(徐福)に挨拶するよりは、ヤタガラスの尊に無事到着の

御礼をしてから、バス停に向かう。

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83 

バス停が分からず 近所の方にお聞きしたら、こんな立派なバスターミナルが出来ていた。

バスターミナルでバス待ちしている人は 外国人が圧倒的に多かった。

「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産登録10周年記念とかで 外人観光客が増えたのだろう。

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84

私が乗り込んだ 17時16分初紀伊田辺行き最終バスにも 外国人が沢山乗り込んでいた。車窓から眺める 熊野川風景だ。

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859

バスが途中立ち寄った「湯峰温泉」で沢山の外国人が下りていった。夕暮れの温泉街をそぞろ歩きしている人のほとんどが外国人なのには びっくりだ。そういえば、このひなびた山の出湯風景が 日本的で 外人には人気なのかもしれない。

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86name

実際に歩いた記録 小広峠から赤木越え分岐まで

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87name

実際に歩いた記録 赤来越え 大日越え

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89name

高度と距離の記録 

累積高度は 約800メートル かなり高い山に登る高度だ

歩いた距離は 約20km これもかなりの距離だ

※ 小広峠バス停から草鞋峠までの記録が抜けているので補正しました。

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5. 小雲取り越え 2014年9月2日






5-1 請川下地橋バス停から百間蔵へ 

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011line  

ピンクのラインが予定のコース。下地橋から百間蔵まで歩く予定。 

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1  

請川へ向かう途中まず本宮大社へ立ち寄る。前回小広峠から本宮大社へは  最終バスの時間ぎりぎりに着いたので参拝できなかったので今回はゆっくり参拝していく。

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2   

拝殿の先に本殿(熊野速玉大神ー徐福つまり秦国からの渡来人で和名をニギ速日と名乗る)を祀る本殿が見える。 

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Photo   

拝殿の両脇にはヤタガラスの命(熊野に上陸した九州物部家を大和へ案内した出雲王家の大和分家登美家の加茂建津乃)がいらっしゃる。出雲人の私としては、支那人にお参りしてもどうしようもないので、ヤタガラスのミコトに 今日から3日間の中辺路巡礼の安全を祈願する。 

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4   

今日のゴールで宿の「小口自然の家」へ到着。ここであらかじめ予約したタクシーに乗せてもらい出発点へ引返す予定。 

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51  

約束どうり10時半に到着したタクシーに乗せてもらい 請川へ。この標識の前が広場で公衆トイレがある。 

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2_2  

この場所から 奥に見えている階段を登る。 

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Photo_2   

世界遺産の参詣道と言うよりは民家の裏山を上る感じだ。 

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78  

左手に熊野川を眺めながら登っていく。 

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8  

やがて石段が続く。 

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 9  

標識は今までと違い「中辺路(小雲取越)」と書いてある。 

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10  

いったん尾根に出たら、ダラダラとした起伏の無い道が続く。 

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11  

なぜかすれ違う人は 外国人がほとんどだ。しかもみんな向こうから歩いてくる。 

その中の一人に聞くと、夕べは湯峰温泉に泊り、バスで小口へ送ってもらい歩き出したという。 

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12 

広場のようなところに出た。 

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13  

松畑茶屋跡だ。 

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14  

しばらく進むと分岐に出た。「万才峠分岐」と書いてある。左へ分岐すると万才峠から伊勢路へと書いてあった。また今度歩いてみよう。 

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15  

再び登りに成ってきて、かなり続いた。 

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16  

明かりが見えてきた。どうやら峠のようだ。 

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171  

ビューポイントへ出た。「百間蔵」と書いてある。眺めがいい。 

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172  

ここは夕日の絶景ポイントだと説明がある。蔵と言う字は 大台ケ原の「大蛇�・」のように「�・」と言う字が書かれることが多い。大きな一枚岩を指す言葉だ。 

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18  

向いの高い山は「大塔山」と説明がある。 

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19  

熊野川が見える。出発点の請川あたりなのだろうか。 

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その2 百間蔵から小口へ続く

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5-2 百間蔵から小口へ

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022line  

午後からのコース。石堂茶屋跡、桜峠を経て小口へ 

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20  

道端のお地蔵さんには 賽銭とお札が納めてある。 

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21  

よく見るとその中に 横文字で自分の名前と「KUMANIZATION」と書いて「From Spain」と書いてあったので 思わず笑ってしまった。熊野古道を歩くことを「Kumanization」というのだろうか。 

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22  

再び登りが続く。 

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23  

林道を横切る場所には 敷石がしてあった。 

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24  

賽の河原地蔵だ。昔から沢山の人が石を積んで行ったようだ。 

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25  

石堂茶屋跡休憩所だが お昼休みをした直後なので素通りする。 

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261  

今日のコースはいたるところに歌碑が立っている。こちらは和歌で 

「歩まねば、供養ならずと 亡き母が のたまいていし 雲取りに 来ぬ」と書いてある。作者の名前も書いてある。 

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262  

こちらは俳句で 「どちらにも 遠き山路や おそ桜」 

読みながら歩いていると楽しい。 

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27  

こちらは仏教用語が書いてあり、よく分からない。 

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28  

無粋な手すりが取り付けてあるが、こうも観光客が増えると「安全最優先」となるのだろう。 

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29  

どうやら峠のようだ。 

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30  

桜峠だ。以後の道は 下る一方だ。 

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32  

しばらく登ると 建物の跡に出た。 

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33  

桜茶屋跡と書いてある。ここに茶屋旅籠があったらしい。 

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34  

休憩所があったのでしばし休憩する。小口集落までもうすぐだ。 

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35  

しばらく降りていくと 向こうに集落が見えてきた。小口だろう。やれやれだ。 

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36  

石畳の下り道が続いたと思うと 

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37  

石段の下り道が続いてそれらが繰り返される。 

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38  

すぐ足元に集落が見えてきた。 

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39  

つるつるして滑りやすい石段を振り返る。 

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40  

間違えやすいような石段が続いているが、この右の道は「金比羅山」とのちほど標識が出てきた。 

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41  

民家の横の石段に出てきた。 

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42  

標識はきちんとしていた。 

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43  

道路標識を確認しながら 道路を歩く。 

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44  

小口自然の家にもどってきた。田んぼの向こうに見えるオレンジの屋根の建物だ。 

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47  

今夜の宿の「小口自然の家」は廃校になった小学校を改装したものだ。 

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48  

部屋は和室で 風呂トイレは共同だ。一泊三食(弁当つき)で6500円だ。今夜はおじさんやおばさんのグループ2組と外人カップル1組、単独旅行者が4人だった。 

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501  

実際に歩いた記録。下地橋バス停から百間�・まで。 

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512  

残りの記録、ゴールの小口自然の家まで。 

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52  

歩いた高度と、距離の記録。高度さは焼く450メートル、距離は13キロだった。 

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翌日は 小口から熊野那智大社まで歩き、バスでこの小口まで帰ってくる予定だったが、この「小口自然の家」の支配人さんが 善意で 私の車を新宮市内まで運んでくださるというので、ご好意に甘えることにした。 

ありがとうございました。おかげさまで助かりました。 

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6大雲取り越え   2014年9月3日




 いよいよ今日は、中辺路のサミット 「大雲取越」である。

しかし一体どこがサミットなのかは まちまちで統一性が無い。滝尻王子の熊野古道館でもらった

案内地図では、越前峠840m、舟見峠868mと書いてあり、実際の現地の看板には 

越前峠に「ここが中辺路最高地点で870mです」と書いてあるが、舟見峠の標識には883mと表示してある。
 

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6-1 小口から大雲取地蔵茶屋休憩所まで

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011  

ピンクのラインが予定のコースである。今日はロングコースなので御前7時に出発した。

「小口自然の家」では朝食を御前6時から食べれるので ありがたい。
 

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1_2  

昔の学校の校庭を横切り、校舎を改装した「自然の家」を出発。 

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2_3  

道路標識に「大雲取越」と書いてあるので助かる。道路を歩いていたら軽トラに乗ったお爺が

「那智越えするんけ」ときくので そうだというと 「ごっつうエライから気合いれていけや」と激励された。
 

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3  

この民家横の石段を上がる。 

写真を撮っていたらまたしても軽トラのおっちゃんが「この坂は きついどう」と激励か冷やかしを

してくれた。「はい、がんばります」としか返事のしようがない。
 

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4_2  

苔むした石段を上がって行く。 

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5 

高砂百合が咲いている廃屋が現れた と思ったら 

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6  

農家の庭先に出た。その中を通り抜ける。 

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7  

再び石段を登る。なかなかいい雰囲気になってきた。農家の庭先を歩いて犬に吼えられる

よりは、こちらの方がずっと楽しい。
 

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9_2  

円座石というものがあり、3つ並んでいるらしいのだが 一つしか見えなかった。

そこに掘られている梵字も 苔に覆われて見えなかった。
 

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10_2  

標識も番号は昨日の続きだが、「中辺路(大雲取越)」に 替わっていた。 

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11_2  

休憩所が出てきたが、歩き出して間がないので素通りする。 

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12_2  

楠の久保旅籠跡にきた。ここは江戸時代、沢山の旅籠があったらしい。 

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13_2  

約1キロ半にわたり、道の両側に建物跡らしき平地が続く。凄い数だ。 

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14_2  

道に面して、お地蔵さんや 

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15_2  

お不動さんの祠らしきものが点在する。まさに往時の賑わいが 感じられるようだ。

中辺路山中での 一大旅籠街だったようだ。
 

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16_2  

胴切坂と書いてある。ここが難所の急坂の始まりらしい。さあいくぞお。 

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17  

急坂が続く。慣れるまでゆっくりと登る。 

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18_2  

一見あれが峠か、と思うが近ずくとまた同じ様な景色が始まる。 

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19_2  

急坂を登り始めて30分ほどで、峠に着いた。看板によると「ここは越前峠で870メートルあり、

中辺路で最高の高さである。」とあるが 実際には那智直前の「舟見峠」の方が

 峠の案内標識の高さも、GPS記録も高かった。
 

つまり中辺路のサミットは 舟見峠で886メートルだ。 

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201  

今度は急なくだりが続く。天が本降りになってきて、レインスーツを着用する。

石の表面は良く滑るので とても怖い。滑って転倒、滑落して骨折か捻挫すればもう終わりだ。

この植林帯のなかでは ヘリも来れないだろう。
 

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202  

あちこちの石段の間から 山路のホトトギスが覗いている。沢山の人が歩くこの道でよくも

踏まれずに 咲いたものだ。
 

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21_2  

広場のようなところに出た。雨はますます激しくなる。 

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22_2  

しばらくは 渓流沿いのみちを下る。 

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23_2  

今度は非常に滑りやすい 石の道を登って行く。ここも慎重に登る。 

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24_2  

峠に着いた。石倉峠と書いてある。 

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25_2  

時折 道のお地蔵さんに手を合わせて 道中の安全をお願いしながら、ツルツル滑る石の下り道をゆっくりと降りていく。 

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26  

石畳の道から突然林道に出た。 

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27_2 

建物が見えてきた。休憩所のようだ。 

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28_2  

「大雲取地蔵茶屋休憩所」とある。 

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29_2  

中はきれいだ。ここで休憩しよう。 

※電気は私が点灯し出るときに消しました。 

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30_2  

向側にも 休憩所とトイレがある。雨はますます激しくなるのでここで昼食をとり、しばし休憩しよう。 

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その2 最後の峠「舟見峠を越えて那智山青岸渡寺、熊野那智大社へ続く 

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6-2 最後の峠「舟見峠を越えて那智山青岸渡寺、熊野那智大社へ 

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31  

本来なら この川の対岸(右手)に山道があり、底を歩くはずだが、川を渡る橋が崩れていて

「通行禁止」の札がかかっている。しばらくこの林道を歩く。
 

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32_2  

右手の山の斜面に 「急ごしらえした山道」が崩れているのが見える。あれは熊野古道ではないなあ。

あんなにつくりが粗雑ではないもの。
 

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33_2  

30分くらい林道を歩いて、この標識のところで分岐して 右の石畳の古道へ再び入る。 

何のことは無い、この林道建設で熊野古道を破壊して、あわてて先ほどの迂回路を急ごしらえしたのだ。

その雑な工事で 道が崩れまくったのだ。
 

軽薄な和歌山県のいかにもやりそうなことだ。 

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34_2  

またしても林道を渡る。雨は少し小降りになってきた。 

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35_3  

20人くらいの団体客とすれ違う。みなさん軽装だ。観光ツアー客のようだが、大丈夫かなあ。

あんな軽装でこの雨の大雲取越を越えるなんて。
 

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36_2  

しばらく進むと またしても林道があり、沢山のツアー客が 真新しい服装をして

「キャー滑る、怖い!」とか騒いで降りてきた。
 

どこから来たのか聞くので「小口から」というと 「違う違う、住んでいるところよ。私たちは 京都から来たの」  

おいおい、どうでもいいから 黙って早く歩いて行ってくれ。こっちは 先ほどから 君たちに 

道を空けるため 笹薮の中で待っているのだから。
 

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37_2  

再び登りになる。滑らないように、お地蔵さんにお願いしながら歩いていく。 

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38_2  

急坂が続く。滑らないように慎重に登る。 

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39_2  

どうやら、あれが峠のようだ。 

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40_2  

舟見峠だ。883メートルと書いてある。やはりここが中辺路のサミットなのだ。 

手元のGPSでは886メートルと表示されていた。 

本来なら 熊野灘の舟が見えるらしいのだが、雨と雲で何も見えない。 

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41_2  

本来なら、左前方に熊野灘を見ながら下るのだろうが、雨と雲の中をひたすら滑らないように慎重に降りる。 

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42_2  

突然熊野古道標識のスタイルが変わった。石柱になっている。番号は続きの番号かもしれないが。

案内看板のスタイルも 突然古い看板に変わり、驚く。
 

何をやらせても最後まで統一したことが出来ないのだなあ、和歌山県は。 

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43  

最後の茶店跡だ。説明看板のスタイルも今までとは ぜんぜん違う。工事看板のようだ。 

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44  

熊野古道のぎりぎりを削り、林道を建設している。もう少し気配りして遠くを通すとか出来なかったのかなあ、

和歌山県は。世界遺産の認識がまるで無いなあ。
 

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45  

中辺路を歩きながら ずっと気になっていたのだが、石畳の道や、石段の復旧をするのに 

こんな石を使うのは良くないと思うなあ。
 

削岩機で穴を開けて楔をぶち込んで 岩を割りました。と言うのが丸分かりなのだ。これは新しく 

割って作ってきた石です。というのがすぐ分かる。特に石の文化の国から来た人にはすぐ分かるのだ。
 

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46  

突然広場に出た。何台かクルマも留っている。 

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47  

路が消えたので探し回る。どうもこの下へ行くようだが、標識は全く無い。 

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48  

世界遺産「祈りの参詣道」ではなく、単なる公園の中の道だ。何でこんなことをするのかなあ、

和歌山県は、世界遺産のどこもかしこも ぶち壊しだ。
 

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49  

出ました、和歌山県の必殺技「世界文化遺産ぶち壊し工法」。世界遺産の祈りの道を 

アスレチックフィールドの中を通している。

 

同じ世界遺産の 「高野町石路」をゴルフ場の中を通したり、小辺路をほとんど林道に変えたり、

程度が低いなあ和歌山県の職員は。もっとも、小辺路の破壊は奈良県との共同作業だが。教養を

高めないと世界に恥ずかしいぞう、和歌山も奈良も。

 

奈良県も 世界遺産大峯奥駆道の整備を放棄していて、南奥駆(胎蔵界奥駆)の整備、

メンテは「新宮やまびこグループ」などの善意のボランティアにまかせっきりにしている。

世界遺産の認識が奈良県にもないのだ。
 

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50  

和歌山県には珍しく、最後の少しだけは 熊野古道の雰囲気が残してある。 

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51  

スタイルの変わった標識が 終に1番になった。これが番号付きの最後の標識だろう。 

たぶん和歌山県のすることだから この先の中辺路は 別のスタイルの標識だろう。

今回の中辺路の請川バス停は54番だったので、今まで約27キロ歩いてきたことになる。
 

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52  

神社かお寺の境内のようなところに出た。 

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53  

更に古道を降りると 鉄筋コンクリート造りのみやげ物屋の前に出た。沢山の観光客が傘を

差して歩いている。「祈りの道」を歩いていたら、突然にぎやかな観光地に出てしまった。
 

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その3 バスで那智駅へそして補陀洛山寺へ 続く


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6-3   バスで勝浦へそして補陀洛山寺へ

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54  

西国霊場第一番青岸渡寺 (せいがんとじ)だ。境内を歩いている人を見ていると、 

巡礼姿の方もたまにいらっしゃるが、ほとんどの人は 観光バスでやってきて 朱印帳に

判を押してもらい、次の札所へ急ぐという人が 多いように思う。

線香の煙が凄い。もうもうと流れている。 

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55  

お寺の隣が 熊野那智大社だ。立派なつくりだ。 

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56  

立派な神門を潜る。 

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57  

ここにも本殿の前に ヤタガラスの命がいらっしゃった。本殿は徐福を祀っているので、

参拝せず このヤタガラスの命ミコト(紀ノ川河口で高倉下の子孫に手痛い攻撃を受けて、

熊野に上陸した九州物部軍を無事に大和に導き入れた 古代出雲王家の 大和分家登美家の当主 

加茂建津乃身)に無事到着のお礼を言う。
 

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58  

熊野古道で 山から下りてきたので、この鳥居を逆に潜って山を降りる

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59_2

五重塔の向こうに那智の大滝が轟音を発している。このところ雨の日が続いたから水嵩が増しているのだろう。

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60

階段を延々と降りると、やっとバス停「滝前」だ。滝がすぐそこに見える。時刻は14時40分、

歩き始めが午前7時なので、休憩時間30分を引くと 正味7時間10分かかった。

熊野古道館の案内パンフによれば このコースは5時間30分と書いてあるが、これは絶対におかしい。

私の足は普通の速度であり、標準範囲だと思っている。この案内書の所要時間は あまりにも早すぎる。

いったいどんな人が歩くのを標準としているのだろう。

当初計画では14時56分のバスに乗らないと 小口へ帰るバスがなくなるので ぎりぎりセーフだった。

しかし小口自然の家の支配人さんが 善意でクルマを回送してくださったので とても助かった。

このまま新宮市内のホテルに向かうことが出来る。雨でズブヌレなので これはとても助かる。

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62

那智勝浦駅正面にドデカイ看板が架かっていた。世界遺産登録10周年記念とかで 盛り上がっているそうだ。

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701name

実際に歩いた記録。その1小口から大雲取地蔵休憩所まで。

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712name

実際に歩いた記録 その2 大雲取地蔵休憩所から熊野那智大社まで。

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72name

実際に歩いた高度の記録と距離の記録。

小口から越前峠までは 一気に800メートルを急坂で上り続けるので、地元の方が皆さん 

「この道はきついぞう」と おっしゃったのだ。歩いた距離は約17キロ。

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6-4  おまけ 補陀洛山寺

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63

那智勝浦から新宮行きのバスを待つ時間に、雨の補陀洛山寺を訪ねた。

この寺は小さいが、とても有名で昔からこの寺から沢山の僧侶が南の海へ極楽浄土目指して、

死の旅立ちをした記録が残されている。

もちろんこの寺も 「世界文化遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」の中の霊場の一つであり、世界遺産だ。

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64

本堂の中からは重々しい 読経の声が聞こえてきていた。

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66

境内には かの有名な「補陀洛舟」が復元展示してあった。こんな小さな船に乗り、

幾多のお坊さんが 生き仏となるべく 南の海の向こうの浄土、「補陀洛山」へ旅立って

いったのだそうだ。まさに死への旅立ちである。

だから私のイメージでは、熊野イコール死の国 となるのだ。昔読んだ 熊野出身の作家

中上健二の小説でも 熊野イコール死の国と 彼は言っている。

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67

この補陀洛山寺境内は 熊野古道中辺路の「浜の宮王子」があったそうである。

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このあとバスにて 那智勝浦から新宮市内へ向かった。

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7-1. 海の道を歩いて熊野速玉大社へゴールする

                       2014年9月4日

今日は いよいよ中辺路のゴールだ。しかも海沿いの道だ。 

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7-1 三輪崎駅をスタートして高野峠へ

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中辺路の最終回は「三輪崎駅」をスタートして 高野坂を越え熊野灘の海岸を歩いて新宮市内へ、そしてゴールの熊野速玉大社 へ。 

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スタートのJR三輪崎駅は無人駅だ。駅前の販売機で飲み物を買いスタートする。

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見落としていた標識。案内書では「国道を少し歩いて踏み切りを海側へ渡る」と書いてあったが この標識が踏み切り脇に立っているが、見落として何回か通り過ぎて探した。

この標識のすぐ下の 踏み跡を降りると右上の「高野坂」と書いた看板があり、「川沿いの道を進む」と小さく書いてあるので 半信半疑ながらこの下へ降りていった。

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左手に小川が流れているので「川沿いに進む」と書いてある通りに進む。

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しばらくは川を左に畑の中を進む。まだ半信半疑だ。熊野古道には見えない。

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しばらく歩くと 「熊野古道高野坂」の説明看板があり、やっと安心する。看板の後ろはJRの線路で 回りは畑だ。

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ここから本格的に古道が始まるようだ。しかし回りはまだ畑だ。

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しばらく歩くときれいな石畳の道が現れた。これでやっと熊野古道の雰囲気だ。

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滑りやすい箇所もあり、ゆっくりと進む。

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道の前方に 赤くうごめくものが沢山見える。何か分からないので気持ち悪かったのだが、ゆっくりと進むと なんと大量の沢蟹だ。私が歩いてきたので みんなで逃げ回り、古道が赤くうごめいて見えたのだ。赤い蟹が こんなに大量に道でうごめくと気持ち悪い。

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「展望台へ」という分岐が出てきたので そちらへ行ってみる。

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展望台への分岐道も石畳が敷いてある。

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しばらく歩くと海に出た。展望台も設置してある。

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目の前に熊野灘が広がる。潮騒が聞こえてきて、汗ばんだ体に潮風が心地いい。

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もとの古道にもどり しばらく進むと鳥居が見えた。「金光神社」と書いてある。

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小さなお社が建っていた。また古道に戻り 歩き続ける。

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ここらあたりが峠のようで 古道は水平道になった。

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ここへも入ってみた。

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ひっそりと五輪の塔が立っていた。鎌倉時代に設置されたようだが、誰が設置したのか 

人物名は書いてあるがそれが誰なのか不明と説明があった。

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所々にお地蔵さんが祀ってある。祈りの道だ。

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道の両側に きれいな紫色の花が続く。後で調べると 蔓穂(つるぼ)という植物だ。

北海道から沖縄まで分布し、しかも海岸から山の中までと極めて環境に適応するそうだ。

ランのように見えるが 百合科の花だそうだ。

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この白い花も沢山咲いている。調べると「畑韮(はたけにら)」という北米原産の帰化植物だそうだ。

これら二つの種類の花は 薄暗い山道でとてもきれいに見えて、目を楽しませてくれる。

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道は次第に下りになる。滑らないように慎重に歩く。

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時々木々の間から 熊野灘が見えてくるようになった。

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向こうに光が見えて 薄暗かった道が 突然明るくなった。

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崖の上に出た。潮騒が大きく聞こえる。

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海を向いてお地蔵さんが 立っていらっしゃる。

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ここに降りてきた。ここが高野坂の反対側の入口だ。

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しばらく歩くと きれいな公衆トイレの前に出た。

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ちょうどトイレの掃除をしていた女性に聞くと、熊野古道の古い道はここでおしまいらしい。

海沿いを歩く人は この線路を潜り 海沿いを歩くそうだ。

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線路を潜ると熊野灘が広がる。ここから海沿いの道を進むことにする。

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その2 熊野灘を歩いて熊野葉や玉大社へ 続く

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7-2 熊野灘を歩いて熊野葉や玉大社へ

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堤防沿いを歩き出す。堤防の上はJRの線路だ。もう道標はどこにも無い。

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打ち寄せる波の音を聞きながら、のんびりと歩く。

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振り返ると、線路を潜りこの濱の道に入ったあたりが、あんなに遠くなっていた。

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時々電車が通り過ぎる。そしてこのあたりの砂浜には 一面に紫色の花が咲いていて とてもきれいだ。

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蔓性の植物で 海岸に育つ「浜栲(はまごう)」だ。一面の紫色のお花畑を歩く気分だ。

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突然海岸にスロープが現れた。案内地図では「濱王子神社」で海沿いの道と分かれて 

神社から新宮の街中へ入るように書いてある。

近くを散歩している地元の方に聞くと 「このスロープを上がり、左の公園を抜けるとすぐ神社があるけど 

名前は王子神社だ」と教えていただいた。

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この公園はブランコが一つあるだけだ。ここを左に曲がる。

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海岸防風林(国有林と書いてある)を抜けるとここに出た。道路を渡り そのまま進む。

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王子神社に到着。さっそく参拝する。

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こじんまりした お社がある。その傍らの「主祭神 」を読んでびっくり仰天した。

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この神社の主祭神 は「稲飯(いないい)」と「三毛入り(みけいり)」だと書いてあるではないか。

非常に驚いた。

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秦国から大量の技術者や若者ー海童たちを連れて 紀元前2世紀のはじめに 二度目に和国上陸を

九州築紫にした徐福は、宇佐王家(出雲王家の第六代主王臣津野の皇子吾田片隅が宇佐に移住して

開いた王家)の宗像家三姉妹(吾田片隅の三人の娘)の市杵島姫を后にする。そして生まれた

皇子穂穂出見ホホデミが立ち上げた王家が 九州物部家だ。
 

それから約300年後の二世紀はじめ 九州物部王家の物部五瀬(いつせ)は大和への第一次東征を開始する。

五瀬たちは 最初紀の国に上陸するが 徐福が最初に上陸した出雲で 出雲王家の高照姫と結婚して

出来た長男五十猛の息子高倉下の子孫たちに 紀の国で手痛い反撃を食い 大将の物部五瀬は戦死する。
 

残った九州物部軍は 船で南下して 熊野に上陸し、ヤタガラス(出雲王家の分家大和登美家の加茂建津乃身)

の導きで 無事大和の磐余の地に入り 磐余彦(いわれひこ)と呼ばれるが それが物部の五瀬の弟の 

稲飯なのか ミケイリなのか分からないので 記紀は「物部のウマシマチ」と言う名前をでっち上げたのだ。
 

その熊野上陸した 物部の稲飯と物部の三毛入りの両方が主祭神 なので驚いた。私が読んできた

「斎木雲州先生」の出雲王朝の古代史のまさにその通りなので 驚いた次第だ。

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この神社の前のアスファルトの道路には なんと「熊野古道」の案内標識が埋め込まれていた。

この「王子神社」から「阿須賀神社」へ行きそれから「熊野速玉大社 」へ行くように表示してある。

そこで次に阿須賀神社へ向かうことにした。

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道路に埋め込まれた標識どおりに歩いていく。これも熊野古道なのだ。

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突然きらきらした支那風の門が出てきた。見ると「徐福公園」と書いてあり、びっくりだ。早速中へ入ってみる。

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なんとこれが 道教の導師「徐福」だという。説明を読んで またまたびっくり。なんと徐福は

沢山の海童を連れて この熊野川の河口から 和国へ上陸したと書いてある。どこから こんな嘘を思いついたのだろう。

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徐福は 一回目に和国上陸する前に 忠実な部下の「穂日ほひ」を出雲王家に使わして上陸の許可を取った。

実際に上陸したのは 石見の国の五十猛海岸だ。その穂日の子孫が今の出雲大社の宮司なのだ。

出雲王家の高照姫と結婚し長男「五十猛」を生み、五十猛の長男「天の村雲」が大和入りし初代大和の大王となる。
 

一旦秦国に帰国した徐福は 秦の始皇帝に更なる資金と若者(海童)たちと技術者をもらい

不老不死の薬を求めて 再び船出して 二度目は九州築後平野に上陸し、宗像三姉妹の末っ子姫の

市杵島姫と結婚し、次男穂穂出見をもうける。ホホデミが九州物部家を起こし その子孫が東征して

大和入りするのである。
 

つまり熊野に上陸したのは 徐福ではなくて、徐福亡き後約350年後の子孫の九州物部王家の稲飯と

三毛入りなのである。
 

しかし嘘もこう堂々と書かれると 感心するなあ。

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阿須賀神社が分からなくて、地元の方に聞きまくり やっと到着した。

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この阿須賀神社の由来書を読むと大変面白い。考霊天皇(フトニ大王)の7年に徐福がこの地に

上陸したと書いてあり、この神社は徐福を祀っているらしい。

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その頃この地に上陸したのは 先ほどの王子神社の主祭神 「稲飯と三毛入り」で彼らが大和入りしたので 

村雲に始まる海部王朝(あまべおうちょう)第七代フトニ大王(のちほど考霊と贈り名をつけられた)は大和の国から

吉備の国へ逃げ 更に出雲王国の伯耆の国へ進出して 出雲王家と第一次出雲戦争を引き起こすのである。
 

つまり紀元後170年頃に 熊野に上陸した徐福の子孫たちのことを  この神社では 「徐福が上陸した」と書き換えて 

ついでに徐福を祀っているのである。
 

このあたりの神社は 先ほどの王子神社のように 歴史も非常に古く その由緒を読むと大変面白い。

その由緒は全くのでたらめではなくて 何らかの根拠があり、とても面白いのである。

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あちこち歩いているうちに、いつの間にか例の「熊野古道」のプレートを埋め込んだ 熊野古道に戻っていた。

さあいよいよゴールだ。正面に赤い大鳥居が見えてきた。熊野速玉大社 だ。

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ゴールの「熊野速玉大社 」にやっと到着した。

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境内に入ると立派な神殿が立ち並んでいる。

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拝殿の向こうが本殿だ。主祭神 はもちろん熊野速玉大神つまり徐福だ。

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徐福は最初の石見五十猛海岸に上陸した後 和名を「火明(ほあかり)」と名乗ったが 

二度目の九州筑後平野への上陸では 「饒速日(ニギハヤヒ)」と名乗った。その「速」を採り 

徐福の名を隠したのが「速玉」なのであろう。

中辺路を歩きとおし 滑りやすい山道で 転倒滑落することも無く 無事にゴール出来たので 

速玉大神に感謝とお礼をして旅を終わる。

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実際に歩いた記録 その1 高野坂

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実際に歩いた記録 その2 新宮市内

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実際に歩いた高度と距離の記録 歩行距離は約10キロであった。

 

あちこち迷いながら歩いたので 実際は3時間ほどかかった。高野坂は60メートルほどの坂で

跡はほとんど平地だった。

 

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※歴史については 大元出版 斎木雲州著 「出雲と蘇我王国」、「古事記の編集室」、「出雲と大和のあけぼの」、

「御伽噺とモデル」、勝友彦著「親魏和王の都」、谷戸貞彦著「幸の神と竜」 などを参考としました。

 

地図については、最終熊野灘高野坂コースはメイツ出版「熊野古道」から借用しました。それ以前の滝尻から

熊野那智大社までの地図は 田辺市発行の「熊野古道めぐり地図帳」から借用しました。(滝尻の熊野古道館で頂きました)。

 

実際に歩いた記録は「ガーミンハンディGPSの記録です。

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