葛城経塚28宿巡礼
経塚とは
今からおよそ1300年前に山岳修験道の開祖、役行者は

法華経を唱えながら
紀泉金剛の峰々を修行して廻ったそうです。


その後山岳修験道が一般大衆化すると人々は法華経全8巻28章を

一品ずつ山中の霊場や行場に埋めそれが経塚となったそうです


経典を一品ずつ筒に入れ

土中に埋納し、盛り土

したり石塔を施したものが

経塚で、人々の願いや

想いがこめられている。
 ※ 写真は第8番犬鳴山 経塚権現山

経塚の形


左図が土盛り経塚の概念図です。

経塚にはこのほか、石造祠、石造

五輪の塔、自然石を置いたもの、

土盛りだけのものと様々です。


私と経塚との出会い
河内長野市の自宅から自転車で山道を1時間半ほど登ると標高約500m

に岩湧寺があります。日曜日によく行くのですが、数年前にそこの境内で

一人の経塚巡礼のおじさんと出会い、いろいろと教えて頂きました。

その方は「役行者さんや修験者の方々は人々の幸せを願って経塚を

造らはったのに、私は自分の利益を願うとる」と苦笑いされていたのが

とても印象的でした。そしてそれ以後経塚に興味を持ちました。

そのときに連れいてってもらい

初めて見た経塚がこの写真です。




※ 写真は第15番経塚岩湧寺
  

経塚はどんなところにあるのか

経塚を訪ね歩いた記録
経塚訪問の記録